コラム

『プレシャス』で魅せたモニーク

2010年02月21日(日)18時30分

 3月7日に授賞式が行われるアカデミー賞で6部門にノミネートされた『プレシャス』。日本公開はゴールデンウィークだが、先日、プレス向けの試写会に行ってきた。

 舞台は1987年のハーレム。16歳の黒人少女プレシャスは、デブでダークスキンで読み書きができず、友達もいない。お腹には父親に強姦されて宿した2人目の子が。それを妬む母親からは精神的・肉体的な虐待を受ける日々──。

 と、この上なく残酷なストーリーなのだが、実はこの映画の原作となった小説『プッシュ』を先に読んでいて心の準備ができていたからなのか、それほど大きな衝撃は受けなかった。原作では怒りと嫌悪感で吐きそうになって読み続けられなくなるページがいくつもあったが、映画はコミカルなシーンがところどころ挿入され笑いを誘う場面も。

 原作に忠実でありながら過激な要素で観客を遠ざけないようにすることが、監督リー・ダニエルズ(『チョコレート』製作など)の挑戦だったという。それに多少のユーモアを入れたからといって、この映画の重さは変わらない。

 一方の原作は、意図的に文法を無視してスペルミスとスラングだらけの英語で書かれている。ちょっと読みにくいが、そうした「破綻」にプレシャスの深い絶望と痛みが込められている感じがする。

 アメリカでは『プレシャス』公開後、黒人に対するイメージをめぐる議論が起きた。ゲットーに生きる黒人の家族をリアルに描いているという支持もあれば、黒人に対する偏見を助長する映画だという反発も。そんななか、原作の著者サファイアはNYタイムズにこう語っている。「ホワイトハウスにオバマ、ミシェル、サーシャ、マリアが住むようになった時代、『プレシャス』が黒人の唯一のイメージだなんて言えない」。それに虐待やレイプ、いじめといった問題は黒人社会に限った話じゃない。

 プレシャスを演じた新人のガボレイ・シディベは一躍脚光を浴び、アカデミー主演女優賞にノミネートされた。でも彼女以上に魅せてくれたのは、母親役のモニーク(もともとはコメディアンとして有名)だ。

 プレシャスを罵り、殴り倒し、搾取する、とんでもない母親。そんなクソババアぶりも見事だったが、圧巻だったのは終盤でなぜ娘を虐待してきたのか吐露するシーン。自分も孤独だった、誰かに愛されたかったのだと訴える。彼女の行為は決して正当化されるものではないし、愛情の求め方も歪んでいる。なのにモニークの迫力に負けたような気がした。プレシャス親子だけの話じゃない。彼女を壊してしまった社会のもっと大きな問題を全身に背負って演じていた。

 モニークは自身も子供の頃に性的虐待を受けたことを明かしている。「私はそのモンスターをよく知っている。『アクション』の声がかかった瞬間、私はそのモンスターになった」。あえて恐怖と屈辱の過去に向き合った強さ。「やる側」を演じるのは、「やられる側」を演じるよりも辛かったのではないか。

 オプラ・ウィンフリーが『プレシャス』を観てすぐモニークに電話して「ちょっと、あんた、オスカーには何を着て行くんだい?」と称えたというが、前評判どおりモニークも助演女優賞にノミネート。オスカー像を手にしてほしい。授賞スピーチのマイクの前に立てば、スタンダップ・コメディアン出身らしく、ガツンとジョークをかましてくれるはずだ。

──編集部・中村美鈴

このブログの他の記事も読む

バンクーバー五輪の環境「銅メダル」は本物か

  積雪80cmは、序の口?!

  ビル・クリントンに寝だめのすすめ

  世界報道写真展:審査の裏側

  イルカ猟告発映画『ザ・コーヴ』は衝撃的か

  ミシェル・オバマの肥満撲滅大作戦

プロフィール

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

台湾総統、強権的な指導者崇拝を批判 中国軍事パレー

ワールド

セルビアはロシアとの協力関係の改善望む=ブチッチ大

ワールド

EU気候変動目標の交渉、フランスが首脳レベルへの引

ワールド

米高裁も不法移民送還に違法判断、政権の「敵性外国人
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 6
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 9
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 9
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story