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アングル:イラク戦争から20年、バグダッド市民に戻る自由な日常

2003年の米軍によるイラク侵攻から20年。政治的、物理的な壁を乗り越える人々が増えたことで、イラク国民はバグダッドに自由が戻りつつあると期待している。写真はバグダッドの街角でタバコを吸う人。2月3日撮影(2023年 ロイター/Thaier Al-Sudani)
[バグダッド 15日 トムソン・ロイター財団] - 兵士から画家に転じたモウアヤド・モーセンさん(58)は、2003年の米軍によるイラク侵攻後、住んでいた地域が米軍と反乱軍の激しい戦いによって幾度も攻撃され、バグダッド中心部のアパートに引っ越しを余儀なくされた。昔の家が懐かしく、壁に囲まれた今の暮らしは大嫌いだが、仕方がない。
モーセンさんのような話は、至るところに転がっている。
フセイン政権時代、イラクでは内戦や1991年の湾岸戦争、その後の国家による虐殺などで大勢の人の命が奪われた。だが、こうした独裁政権下でも、招集や逮捕を免れた人々は街を行き来し、カフェやレストランに集っておいしい食事を楽しんだりしていた。
米軍の侵攻後、全ては一変した。
内戦状態に続き、2014年から17年までは武装勢力「イスラム国」がイラク北西部の大半の都市を支配下に置き、数千人を殺害。人殺しや誘拐が日常茶飯事となった。
バグダッドの各地域は宗派や民兵組織ごとに分かれ、モーセンさんが住む地区などは、混乱を避けるためコンクリートの壁に囲まれた。市民は、壁の向こうや家の中に隠れて暮らすようになった。
自由な場所を求めて国外に脱出した者もいれば、暴力がトラウマになり、安全が守られるなら壁に囲まれて暮らす方がましだと考える人たちもいる。
<行き先を聞かれる環境>
バグダッドには検問所が点在し、軍の装甲車が行き来する。道沿いには爆弾の衝撃を吸収するための爆風壁が張り巡らされ、ビルや住居をふさいでいる。
「軍の兵舎に暮らしているようだ」と語るのは、カフェで友人とカードゲームをしていたナジャ・ハディさん(63)だ。「誰もが『行き先はどこだ』と聞いてくる」という。
ハディさんによると、幼なじみの大半は暴力を逃れるために国外脱出を余儀なくされた。今では彼らに会うため、検問所を通らねばならない。
とは言え、以前に比べればイラクも平和になった。昨年は親イラン勢力が政権を樹立し、1年余りにわたる政治の膠着(こうちゃく)状態に終止符が打たれた。
20年前に起こった米軍侵攻前を知らない若者たちは今、社交の場を取り戻し、バグダッドの新たな部分を開拓しようとしている。
イブラヒム・アブデルラーマンさん(26)は、にぎわうバグダッド中心部で大学の友人たちとタバコを吸っていた。約10キロ離れた郊外の街で、閉じ込められたような気分で暮らしてきた彼は、10代最後になって故郷を飛び出した。
バグダッド中心部を動き回るようになるとは「思ってもみなかった」という。
<良くなっている>
若者の多くは、2019年にバグダッドで広がった政府への抗議デモを契機に故郷から抜け出した。2003年以来で最大の反政府デモだ。
ハッサン・ファイラさん(23)は「この国を愛してはいなかったが、貧しい地域からデモ参加者が権利を求めて立ち上がった時には、愛を感じた」と語る。「この国を最高のものにしていきたいと願う若者が、まだ、いるのだという気持ちになった」と話す。
政治的、物理的な壁を乗り越える人々が増えたことで、イラク国民はバグダッドに自由が戻りつつあると期待している。
警備員の仕事に就くアリ・サレーさん(38)は、チグリス川を見下ろす公園で4人の子どもが遊ぶ様子をほほ笑みながら眺めていた。
「だんだん良くなっている。楽観しているよ」と彼は語る。
公園に突然、照明が灯り、夕闇からサッカー場が浮かび上がった。
「電気がついた」――。サレーさんの背後に座っていた少年の1人はこう叫ぶと、ボールをトロフィーのように頭に乗せ、仲間を引き連れてピッチに駆け出して行った。
(Nazih Osseiran記者)