コラム

バハレーン紀行(3):「F1が大事か、国民が大事か!」

2012年04月23日(月)10時20分

 のんびり紀行文を書き続けていたら、とうとうそのバハレーンで、衝突に火がついてしまった。ここ数日、バハレーンでのF1グランプリの開催に反対するデモが大規模に組織され、バハレーン官憲と激しくぶつかり合ったからだ。20日、F1開催日に行われた最大級のデモでは、反政府活動のリーダーのひとりが殺害されたことが発覚した。

 なぜF1に反対するのか? 別に、カーレースがいけないのではない。それどころじゃないだろう、もっと先に国内で政治改革すべきことがあるはずじゃないか、というのがその趣旨だ。実は昨年の三月、予定されていたF1グランプリが「アラブの春」で延期された。バハレーン政府にしてみれば、今年も開催できないなんて沽券に係わる、と考えたのだろうし、反政府側は、昨年開催を見送ったときと比べて改革されたどころか、もっと状況が悪くなっているじゃないか、という思いだろう。

 三月にバハレーンを訪れたとき、印象的だったのが、政府側の反政府派に対する決然とした弾圧姿勢だ。湾岸の産油国といえば、セレブの集まるドバイやカタールのように経済繁栄第一で、軍が全面に出てきたり力任せに抑え込む、といったイメージはあまりない。そういうのは、かつてのフセイン政権時代のイラクや今のシリアのような、軍や諜報機関が牛耳る警察国家の十八番である。ところが、今のバハレーンではあちこちで軍や警察の物々しい姿を見る。国王の写真が道のあちこちに掲げられているところなど、見慣れたイラクやエジプトの統制の強い体制と大差ない。

 特に驚いたのは、国王が軍服姿で描かれた肖像画が多かったことだ。湾岸首長国の国王、首長のイメージは、なんといってもディスダーシャ(ガラビーヤともいう)と呼ばれる白の長衣に、部族のアイデンティティを表したクフィーヤと呼ばれる頭巾をかぶっている姿だろう。そういった伝統的な外見が首長や国王が国を束ねる象徴となるのだが、軍服姿で力を背景に国民の忠誠を強要するという方法は、まさにフセイン政権時代のイラクを彷彿とさせる。

 軍の起用だけではない。反政府勢力に、わずかなりともかかわったら即刻処罰、という明確な姿勢が、容赦ない警察国家を思い起こさせる。デモに参加して仕事を失ったり逮捕されたり、というのはよくあることだが、デモで負傷した者を治療しただけで、医者や看護婦が逮捕されているのである。私が体験した「ほのぼのデモ」ですら、最後に警察署前にデモ隊がやってくると、警察は催涙弾で応酬した。催涙弾で涙まみれになって、走って転ぶ者あり、喉をやられて呼吸困難になる者ありで、たかが催涙弾と看過できない。

DSC_0083_opt.jpg

 何がそこまでバハレーン政府を非妥協的にしているのだろう。イラクですら、全土に反政府活動が広がったとき、徹底的に弾圧しながらも、反政府派になる可能性のある貧困層や異なる宗派、民族を政府に取り込もうとしたり、経済的に恩恵を与えたりして懐柔した。ここまで決然と、人口の半数以上のシーア派住民を「過激派」と切り捨てる態度をとれる理由は何か。
 
 バハレーンに置かれている米軍基地の問題がまずあるだろう。湾岸戦争以来、米軍第五艦隊の司令部が南部に置かれている。加えて、バハレーンとコーズウェイでつながるサウディアラビアが、バハレーンから王政打倒のドミノが始まるのを恐れている。周辺国と米軍が見放すはずがないという意識が、バハレーン政府の「自信」につながっている。

 だが、忘れてならないのは、バハレーン政府が常に、反政府勢力=シーア派=イランと喧伝して、「弾圧されても当然の外国の手先」というイメージを作り上げていることだ。そして「イランの支援をするのか」と、愛国心の問題にすり替えられてしまう。バハレーンでデモ隊が常にバハレーン国旗を掲げていたのは、愛国心がないと非難されることを避けるためだ。

 このような敵の「悪魔化demonize」は、戦時にはよく見られる。だが、少数民族、宗派は平時でも常に「悪魔化」される恐れを抱えながら生きている。バハレーンに限ったことではない。出自の異なる人々は「外国の手先」だ、と思ってしまうことが、独裁体制の揺るぎない弾圧への自信を支えてしまうのだ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

日銀、政策金利を現状維持:識者はこうみる

ビジネス

アルコア、第2四半期の受注は好調 関税の影響まだ見

ワールド

英シュローダー、第1四半期は98億ドル流出 中国合

ビジネス

見通し実現なら利上げ、米関税次第でシナリオは変化=
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 10
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story