民主主義社会の水平志向と垂直志向

1つの視点を提供したい。私たちの中にある志向、水平志向と垂直志向だ。この2つの志向が私たちの中でどのように交錯しどのように広がっているのか、それ自体多様な広がりを示す。

民主主義社会は、基本的に平等な市民によって構成される。この平等感が生来のものか近代以降の人権思想の影響なのか、はたまた憲法が法の下の平等を定めている、単にそれだけが理由なのか、人それぞれの思想の由来を尋ねることは興味深い。思想の違いを乗り越えて、この平等は私たちの中に平等感を涵養する。この平等感が今ここにある私(あるいは私たち)が普通に持つ横の水平志向を育み、あるいは逆にこの水平志向が平等感を補強するとも言えそうだ。そしてこの水平志向は私たちのまとまり、大きく言えば社会統合に資することも疑いない。

他方、私たちは縦の垂直志向をも持ち合わせる。これもまた、生来のものか環境のなせる業なのか、あるいは教育のおかげなのか何とも言えない。

横の水平志向も縦の垂直志向も共に私たち中にある。それは多様で自由な社会に満ち溢れる差異の極々一部に過ぎない。また、政治的指導者の中にもその2つは共にある。ともに持ち合わせている、私もあなたも、政治的指導者も国民も、庶民もセレブも、そして上級国民もこれらをともに持ち合わせている、という認識を共有することから出発することは、民主主義社会の統合に資すると考えられる。

とは言え、垂直志向は往々にして個々人の欲望をエンジンにすることがあるという意味あいから利己的傾向を示す、ことがある。他方、水平志向の広がりは公共的テーマへの想像力を駆り立てる、ことがある。優劣の問題ではない。このいずれの志向も私たちの投票行動に影響を及ぼす。実際の投票に当たって、この利己心と公共心いずれが勝るかは人による。

民主主義は上々の結果を保証してくれない。とりわけ効率という点に関し多くの識者が疑問を呈する。民主主義の公平と政治的決断の効率は、しかし単なるトレードオフとして片づけるわけにはいかない。熟議の民主主義は、その熟議の過程にこそ貴重な意味を見出す。熟議とは、他でもない政治的指導者を含む国民間の多層的な縦横の議論のみならず、なにより政治的指導者が国民を説得し国民が納得する過程に他ならない。その過程の内容が如何なるものになるかによって、民主主義が多様な広がりを展開するとともに、その真価が問われる。

民主主義を学ぶ
【関連記事】