ロンドン公演は大成功を収めても、相撲はまだ「ジャパンクール」に程遠い
Japan’s sumo association turns 100 – but the sport’s rituals have a much older role shaping ideas about the country
ロイヤル・アルバート・ホールで行われた大相撲ロンドン公演の一幕(2025年10月17日) Action Images via Reuters
ロンドンでの熱狂的な歓迎は、相撲が「国際的に通用する文化的魅力」を持っていることを証明した。だが、今も残る閉鎖性を克服しない限り、その先へは進めない>
日本を訪れ、相撲の本場所に足を踏み入れた観光客は、自分が宗教儀式に迷い込んだのではないかと錯覚するかもしれない。
【画像】街に出た力士たちにロンドン大興奮、「まるで嵐」と市長も賞賛
相撲の公式戦である本場所は、装飾が施されたまわしを着けた大柄な男たちが列を成して土俵に上がるところから始まる。呼び上げられた力士たちは、俵で縁取られた土の円形リング(土俵)を時計回りに回り、中央に向かって拍手を打ち、まわしを持ち上げ、両手を天に掲げてから無言で土俵を降りる。
取組前には、ふたりの力士が中央で向かい合い、手を打ち合わせ、足を踏み鳴らす。何度も口をすすぎ、塩をまいては間合いを計る。
動作の一つひとつを見守るのは、色鮮やかな着物に身を包み、神道の神職を思わせる黒い烏帽子をかぶり、緒(ひも)のついた軍配を持った行司。その軍配のわずかな合図で取組が始まる。観客はその瞬間になってようやく、これはスポーツの試合なのだと気づくかもしれない。
どんなスポーツにも儀式的な所作がある。たとえば、ラグビーのニュージーランド代表による試合前の「ハカ」や、テニスで勝敗後に交わされるネット越しの握手などが挙げられる。多くの相撲の所作と同じく、それらの儀式には宗教的な起源がある。数百年前には、相撲は寺社の祭礼の一部として開催されていた。
現代の相撲は、記録やルールを備え、統括団体は2025年10月に創設100年を迎える近代的なスポーツだ。それでも、宗教的なルーツはいまも随所に残っている。たとえば力士がまく塩は「清め」の意味を持ち、拍手は神々の注意を引くための行為だ。
近代日本史とスポーツ外交を専門とする筆者にとって、スポーツとは「ただの試合」以上の意味を持つ。相撲の儀式は、少なくとも170年前から、日本に対する外国の印象を形づくる要素となってきた。
「激しい運動に向かない体格」
アメリカ人が相撲を初めて観戦したのは1854年3月。日米和親条約を記念して開催された取組だった。条約交渉のために来日していたマシュー・ペリー提督の個人的な記録には、驚いた様子で見守る米国の水兵たちの姿とともに、その模様が描かれている。
試合が始まる前、力士たちはその力を示すパフォーマンスを披露した。日本政府からの贈り物である約200俵の米をアメリカ艦船に積み込む作業を行ったのだ。ペリーは、まわし一丁の大男24人が船員の前を行進し、それぞれ135ポンド(約61キロ)の米俵を両肩に担いで運ぶ様子を詳細に記録している。
日本文化への理解を促す意図があったとすれば、これは裏目に出た。ペリーの記述には、力士を動物にたとえる侮蔑的な表現が並ぶ。彼は力士を「肥育された雄牛」に似ていると書き、発する声は「闘犬のようだ」と記した。
当時、スポーツという概念自体がアメリカやイギリスでようやく芽生え始めた時期だった。サッカーの最初のルールが記録されたのは1840年代、野球のプロリーグが誕生したのは南北戦争後である。
そんな背景の中で相撲を見たペリーにとって、その取組は「茶番」にしか映らなかった。彼は力士を「激しい運動に向かない体格」と評し、スポーツとしての価値を見出せなかった。
江戸時代の大相撲を描いた歌川国貞の錦絵 Chunichi.co.jp/Wikimedia Commons
当時の日本は西洋とほぼ断絶状態にあり、アメリカ人の多くは日本についてほとんど知らず、「遅れていて野蛮」な国と見なしていた。スポーツ観の違いも相まって、相撲はむしろ「奇妙で未開な文化」として映ったのだ。
野球に奪われた地位
20世紀初頭、スポーツ外交の中で日本への印象が前向きに変わったのは、相撲ではなく野球だった。
1868年の明治維新後、新政府は改革の一環としてアメリカ人を招聘した。その一部がアメリカの国技・野球を日本に持ち込み、急速に浸透していった。
1910〜20年代には、日本の大学野球チームがたびたび渡米し、米国メディアはその技術と礼節を高く評価した。
1925年に米ホワイトハウスを訪問した日本の野球チーム National Photo Company Collection/Library of Congress/Wikimedia Commons
試合前の始球式のようにアメリカ人にも馴染みのある儀式もあれば、審判への一礼のように新鮮に映るものもあった。だが、それらの所作が、アメリカの荒々しい選手や観客よりも洗練されていると受け止められることもあった。
当時、日本は急速に西洋化を進め、中国やロシアとの戦争に勝利したことで国際的評価を高めていた。元プロ野球選手のハリー・キングマンは、1927年に東京の大学でコーチを務めた経験から「野球の受容は日本の近代化の一部だった」と記している。
相撲は1990年代まで日本で最も人気のあるスポーツだったが、野球の台頭によりその地位を脅かされた。外来スポーツが相撲のファンを奪いつつあったのだ。
こうした変化の中、当時東京と大阪で分裂していた相撲団体が統合し、1925年に現在の日本相撲協会の前身が誕生した。
相撲は「クール」になれるか?
いまや日本のポップカルチャーは世界中の人々を魅了している。2002年、ジャーナリストのダグラス・マクグレイは、その文化的影響力を「ナショナル・クール」と表現した。ただし、相撲はその例外として挙げられた。マクグレイは、相撲界の閉鎖的な運営体質を問題視していた。
国際的なファン層の獲得を妨げている最大の要因は、外国人に対する排他的な姿勢だと言われている。移民政策が厳しく、人口の多くが同質性を保つ日本では、外国出身の力士は今も少数派だ。しかも彼らの成功が、しばしば波紋や反発を呼ぶ。
1993年、ハワイ出身の曙が外国出身力士として初めて横綱に昇進すると、相撲協会は外国人の新規採用に一時的な制限を設けた。その後、制限は緩和されたが、現在も一部屋に外国出身力士は1人までという規定がある。
非日本人の力士は今でもごく少数にとどまっているが、彼らの活躍が注目されるたびに、「相撲における外国人の位置づけ」についての議論が再燃する。
伝統と変化のはざまで
相撲は一定の国際的な人気を得てはいるが、その儀式や慣習が海外で誤解や批判を招くこともある。
たとえば2018年の春場所での一幕──舞台上であいさつ中に倒れた市長を、女性の救護スタッフが介助しようと土俵に上がったところ、「女人禁制」を理由に退去を求められた。この対応は大きな批判を呼び、日本相撲協会の八角理事長は後日謝罪することになった。
こうしたエピソードは、相撲界が伝統に固執しすぎていると見なされる要因にもなっている。
もっとも、変化の兆しもある。1926年に東京都が女性の相撲を禁止して以来、長らく続いた制限はすでに撤廃され、現在はアマチュア相撲では女子選手も活動している。ただし、プロの土俵はいまだに男性限定のままだ。
相撲は、日本を訪れる外国人観光客にとって人気の高い体験型イベントの一つだが、観戦は一回限りの「非日常体験」にとどまることが多い。リピーターや国際的ファン層の定着にはつながっていない。
果たして相撲は、今後も日本のスポーツ外交の武器となり得るのだろうか。その答えは、相撲界が伝統を守ることに重点を置くのか、それとも国際化を推進するのか──その選択にかかっている。
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Jessamyn R. Abel, Professor of Asian Studies and History, Penn State
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
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