「習ワンマン政治」に変化?...習近平と李強、揺れる中国の権力分担【note限定公開記事】
A RISING PLAYER

あくまで大ボス・習近平国家主席(左)を立てる姿勢が、李強首相の存在感の高まりにつながっているようだ(2025年3月の全国人民代表大会で) FLORENCE LOーREUTERS
<中国の絶対権力者・習近平が、腹心の李強首相に経済政策の立案を委ねつつある。李強の台頭は、中国の内政と対外関係に何をもたらすのか?>
2012年11月に習近平(シー・チンピン)が中国共産党総書記に就任してからというもの、中国政治は習の独壇場だと思われがちだが、実情はそう単純ではない。このところ、権力構造に微妙な変化が生じている兆候が見えてきた。
習の最高指導者としての権力は揺るぎない。だが最近は統治のカギとなる権限、特に経済政策の立案をナンバー2の李強(リー・チアン)首相(65)に委ねつつあるようだ。
これは意外な展開だ。習は李強の前任で、かつて自分と総書記の座を争った李克強(リー・コーチアン)を冷遇することで支配力を強めた。
李克強が首相だった13〜23年にかけて経済政策の決定権を党の機関に移し、首相がトップを務める国務院(内閣に相当)を弱体化させたのだ。
もともと国務院は共産党の統制下にあるが、専門家が政策を立案する分野では一定の裁量を与えられていた。
だが共産党総書記として異例の3期目にある習も70代に入り、上から「ご託宣」を授けるタイプの統治に移行しているらしい。最終決定権を堅持しつつ現場の政策立案は忠実な腹心、つまりは党の幹部である24人の政治局員に任せている。
なかでも重用されているのが、習が党委員会書記を務めた浙江省政府でキャリアを積み、04〜07年には秘書役を務めた李強首相だ。
出世ぶりは一般公開された資料からもうかがえる。筆者が国営メディアの報道や党の公式文書を分析したところ、李は23年3月に首相になって以来、前任者たちよりも多くの会合を主宰し、公の場での存在感を増している。
その着実な台頭は経済政策が成長重視路線を取った過程と重なり、李は今後の対米交渉や次期指導部でキーパーソンとなる可能性がある。
習政権で最も影響力の大きい政策決定・推進機構は、「中央全面深化改革委員会(中央深改委)」だろう。
中央深改委は13年に党指導部と省庁をつなぐ非公式の調整機関として設置された。18年に常設の委員会に格上げされ、市場、貿易、技術、エネルギー、社会福祉等の改革を推進するための主要機関となった。
習は自ら委員長を務める中央深改委を使って国務院の役割を縮小させ、経済政策の決定権を党に集中させた。
だが中央深改委の会合は24年8月を最後に開かれていない。党の記録によれば、22年10月に第3次習政権が発足して以来、委員会が招集されたのは6回で、1期目の38回、2期目の27回から大きく減少した。
同様に2期目に11回招集された中央財政委員会も、3期目はまだ4回。最後の会合は24年2月だ。
一方、李は首相になって2年で国務院全体会議を8回招集した。これは温家宝(ウエン・チアパオ/03〜13年)と李克強がそれぞれ5年の任期中に開催した回数に匹敵する。
従来、国務院全体会議は年次業務報告や香港・マカオの行政長官の選出といった形式的な議題が中心だったが、李の下でより実のある役割を担い始めた。
24年8月には党幹部や有識者が非公式に意見を交換する北戴河会議の後で国家的目標を定め、25年3月に全国人民代表大会(全人代)が終了すると、その決定事項を受けて政策実行の指示を出した。
高まる政府内での存在感
また李は制度改革を通じて力を蓄えた。23年3月、国務院は権限を規定する「国務院工作規則」を改め、「総理弁公会議」を復活させた。
この会議には情報開示の義務がないため、開催状況や内容は不透明だ。
政府は03年に総理弁公会議を廃止したが、これは当時の朱鎔基(チュー・ロンチー)首相が国務院全体に諮ることなく会議を使って大型の事業を承認し、イニシアチブを立ち上げたためとされる。
行政学の専門家も当時、総理弁公会議は開催が不定期で、参加者も固定されておらず、首相(朱鎔基)が「恣意的」な決定を下すことを可能にしていると批判していた。
そのような会議を習が復活させた背景には、党指導部に環境の変化を理解していない「能力不足のメンバー」がいるせいで、政策の実行が遅れているといういら立ちと、自らの政治的ビジョンを実行するためには、不本意ながら首相に一定の権限を譲らなければならないという現実的な必要性があるようだ。
いずれにせよ、同会議が朱の首相時代と同じ機能を持つなら、李はいつでも、どんな問題についても、どんな政府高官も呼び出せる強力な権限を手に入れたことになる。
改正された国務院工作規則では、国務院常務会議の開催頻度も週1回から2週間に1回程度に減り、李が党中央の審議を仰がなければならない機会も減った。
その一方で、李は2カ月に1度「専題学習会」を開き、優先課題を周知させると同時に、国務院における自らの権限を強化できるようになった。
実際、25年3月に北京で開催された中国発展高層論壇(内外の政財界関係者が集まるフォーラム)で李強を見かけたという2人の人物は、李がこれまで以上に自信に満ちていて、リラックスした様子だったと語っている。
かつてなら台本どおりの発言しかしなかったが、今は平易な言葉で、より明確に政策を説明しているとの指摘もあった。
李強は、前任者である李克強よりも経済政策の立案に深く関与していると、北京在住のある中国政治ウオッチャーは語る。
なにより重要なのは、李強がこうしたことを習の権威を脅かさず、むしろそれを強化するような形でやっていることだ。
李克強の「失敗」に学んだ?
これに対して李克強は、経済政策に関しては、習とは独立した見解を示唆することが度々あった。
例えば、習は「脱貧困」政策の成果を自画自賛してきたが、李克強は中国には「今も月収1000元(2万円程度)以下で暮らす人が6億人いる」と公言して、内外の関係者を驚かせた。
李強は外国の指導者や経営者、外交官の声を中国指導部に伝える仲介役も担っているようだ。首相就任後の2年間で、李克強よりもはるかに多くのG20諸国を訪問しており、習の信頼を得て、大きな外交課題を任されているようだ。それだけに、今後の米中交渉でも、重要な役割を果たす可能性がある。
では、李強の政治的影響力の高まりは、中国の政策にどのような影響を及ぼすのか。
【note限定公開記事】「習ワンマン政治」に変化?...習近平と李強、揺れる中国の権力分担
ニューズウィーク日本版「note」公式アカウント開設のお知らせ
公式サイトで日々公開している無料記事とは異なり、noteでは定期購読会員向けにより選び抜いた国際記事を安定して、継続的に届けていく仕組みを整えています。翻訳記事についても、速報性よりも「読んで深く理解できること」に重きを置いたラインナップを選定。一人でも多くの方に、時間をかけて読む価値のある国際情報を、信頼できる形でお届けしたいと考えています。

アマゾンに飛びます
2025年8月12日/19日号(8月5日発売)は「Newsweek Exclusive 昭和100年」特集。現代日本に息づく戦争と復興と繁栄の時代を、ニューズウィークはこう伝えた
※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら