東ティモール11番目の加盟国に ASEAN首脳会議で合意
2002年の東ティモール独立記念式典で国連のアナン事務総長(左)とシャナナ・グスマン大統領(右) REUTERS
<独立後の平和維持に日本の自衛隊も派遣された国がASEANの一員へ>
カンボジアのプノンペンで開催中の東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳会議は11月11日に発表した声明で、新たな加盟国として東ティモールを迎えることで合意に達したことを明らかにした。
これで東ティモールは11番目のASEAN加盟国となることが決まった。
東ティモールは旧インドネシア領で長年の独立を求める武装闘争の末、1999年の国民投票を経て2002年5月20日に独立を果たした。
独立を果たした東ティモールは2011年からASEANへの加盟申請を出し続けていたが、新規加盟をするには全加盟国の同意が必要。東ティモールに対しては財政的基盤が不十分とする意見が出されるなど、これまで延期が続いていた。
しかし今年7月19日にインドネシアを訪問した東ティモールのラモス・ホルタ大統領がジョコ・ウィドド大統領に改めてASEAN加盟への要望を再度伝え、今回の首脳会議以後カンボジアから議長国を引き継ぐインドネシアが中心となって早期加盟実現で根回しを行い、念願のASEAN加盟が実現する運びとなったという。
武装闘争の末に果たした独立
長らくポルトガルの植民地だった東ティモールは太平洋戦争での日本軍占領を経て戦後再びポルトガル領となった。その後1975年にポルトガル政府が植民地を放棄した直後にいったん独立を宣言したものの、ほぼ同時にインドネシア軍が侵攻し全土制圧に乗り出した。
その結果、1976年にインドネシア政府が27番目の州(当時)として東ティモールの併合を宣言。これ以降はインドネシア領となったが、独立を目指す政治組織「フレテリン」とその武装部門である「ファリンテル」によるインドネシア抵抗運動が続くことになった。
1991年には中心都市ディリで行われた平和的なデモにインドネシア軍が一方的に発砲し、住民約400人が死亡する「サンタクルス事件」が発生。国際社会の注目を浴びたが、それまでの武装闘争は大きく報じられることもなく「忘れられた独立紛争」と言われた。
独立を問う住民投票実施
1998年にインドネシアのスハルト大統領による長期独裁政権が崩壊し、後任のハビビ大統領は東ティモールのインドネシア併合の是非を問う住民投票の実施を決めた。このときハビビ大統領はそれまでのインドネシア併合時代に進んだインフラ整備や経済援助などから「住民の多くはインドネシアに留まることを選択する」と踏んでいたとされる。
しかし国連の主導で1999年8月に実施された住民投票は、投票率98.6%と関心が高く、独立を望む住民が78.5%と多数になり、以後独立に向けた準備が国連と共に進んだ。