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久野九平治(日本酒蔵元)

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2009.06.29

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久野九平治(日本酒蔵元)

国境を越えた最上級の一献

2009年6月29日(月)15時20分
ジュリアン・ライオール(名古屋)、トレーシー・マクニコル(パリ)

 パリの高級ホテルやレストランは当初、久野九平治(42)の商品を軽くあしらった。フランスでは日本酒は絶対に売れない、きつい味わいと焼けつくようなのどごしで評判がよくないからと。だが、久野は商売のコツをつかんだ。自慢の吟醸酒をとにかく試飲してもらうのだ。

 飛び込みの営業で味見をしてもらう。そんな大胆なアプローチは見事に奏功した。ワインをこよなく愛するフランスにあって、「醸し人九平次」はリッツやクリヨンといった超高級ホテルや三つ星レストランのギー・サボアなどで提供されている。

 「日本酒のイメージはかなり悪かった。上質な酒を味わう機会がなかったからだ」と、名古屋郊外にある酒蔵の15代目にあたる久野は言う。「試しに飲んでみると、これまで口にしてきたものとはまるで違うことにみんな気づいてくれた」

 久野いわく、成功の秘訣は量より質を重視してきたことだ。日本で製造される酒のほとんどは大量生産だが、これは第二次大戦直後に増産のために採用された手法だった。久野が家業を継いだ90年代には、日本酒の需要は下り坂になっていた。思い切った改革を図らなければ生き残ることはできないと、久野は認識していた。

 そうして行き着いたのが「個性の追求」だった。酒を手作りするには多くの労働力と時間を要するが、仕上がりは比べものにならない。自分の酒にはとっくりとおちょこより、ワイングラスが合うと久野は考えている。そのほうが香り立ちがいいからだ。無色透明で滑らかな口あたりの「醸し人九平次」には果実のような味わいがある。

伝統を守り、謙虚に攻める

 フランスの保守的なワインリストの壁を打破した功績も、広く認められている。中部ロアンヌの三つ星レストラン、トロワグロでは、鱸のスープの「完璧なお供」としてよく冷やした久野の酒を勧めている。「日本酒はこくと酸味のバランスがいいので、水分が多い料理によく合う」と、トロワグロのソムリエ、クリスチャン・バーモレルは語る。「ロアンヌの人々は必ずしも冒険好きではない。日本酒にもなじみがないので、彼らにとっては新しい発見だ」

 日本酒の伝統を守ろうというこだわりは、江戸時代末期から続く酒蔵からも見て取れる。醸造所に隣接する家は昔ながらの日本家屋。玄関には家紋と額に入った賞状が掲げられている。

 歳月とともに黒ずんだ酒蔵の立派な梁。輸出用のボトルにせっせとラベルを張って箱に詰めていく女性従業員たち。一見すると、どこかすたれつつある風景に見えるかもしれない。

 だが、現代のテクノロジーも導入されている。スチール製の樽には3000誚の酒が貯蔵でき、酒を搾っている間は密閉した空間で適温を保つ。現在の年間製造量はおよそ1升瓶8万本で、ピーク時のわずか5分の1だという。約1割がアメリカや香港、マカオ、そしてもちろんフランスへ輸出される。

 「世界はますます小さくなってきているし、健全な食に対する意識も高まってきた。うちの酒は最高の天然素材を使い、化学物質は使っていない」と、久野は言う。「試してもらえば、それほど営業する必要はない。評判は口コミで広まるから」

 自分の使命はまず、上質の酒を造ることだと久野は言う。「それを守っているかぎり、私たちに国境はない」

[2007年10月17日号掲載]

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