コラム

ハーバードは大量カンニングにどう決着をつけるのか?

2012年09月05日(水)09時00分

 8月30日(木)、ハーバード大学は突如発表を行なって125人という大規模な学内での試験不正事件について、現在調査を進めているということを公表しました。同大学の学内報『ガゼット』に続いて、地元紙の『ボストン・グローブ』など全国のメディアが一斉に報じているところでは、全部で250人が履修している1年生の数学コース中、約半数の答案に不正の疑いがあるというのです。

 ハーバードというと、知名度ということから大規模校という印象になるのかもしれませんが、学部学生は各学年1600人程度と少なく、また少ないがゆえに高い質を誇っていることもあるのです。その中での125人というのは、非常に大きな数であり、そのためにアメリカでは衝撃的なニュースとして受け止められています。

 また、それゆえに大学は非常に神経質になっているようです。今後、捜査を進展させるにはある程度の情報公開が必要、また新入生の入ってきた新学年のスタートに当たって、不正行為を根絶するために大学としてのメッセージは出したい、おそらくこのタイミングでの発表には、そのような事情があると思われます。

 一方で、「学費を負担している保護者も、本人の同意なくしては学生の成績表は閲覧できない」という大学生に関する厳しいプライバシー保護法(連邦法)というものがあり、同学としては、個人情報が漏れないように、最新の注意を払っているようです。この秋に同学に入学したばかりの学生によれば、一般の学生には学内報以上の詳細は分からないとのことです。

 アメリカの大学では数学は必修です。多くの大学では、文系でも微分方程式まで、理系の場合は多変数微積分までは履修させるというのが普通で、それも厳格な「プレースメント・テスト(実力判定テスト)」を実施して、能力別のクラス編成を行います。「学んだことを隠して優しい科目を取ってAを狙う」不心得者や「前段階を理解していないくせに背伸びをして受講する」ような「自爆学生」の出現も防止するなど、あの手この手でクラス編成をしているのです。

 昨年度の1年生1600人中250人が「同じ期末試験を受けている」ということから、恐らくこのコースは「微積分102」であると推測されます。ハーバードの場合は、高校のうちから多変数微積分もやってきた子供も相当数いるとは思いますが、さすがに、そのレベルで250人の大講義というのにはならないように思うので、恐らくは大学微積分の「1(入門コース)」の後半ということではないかと思われます。(この辺りは私の勝手な推測ですが)もしかしたら、アメリカでは文系理系問わず「ツール」として重視している統計学かもしれませんが、受講者数からして可能性は低いと思われます。

 ところで、250人が大講義形式で数学を受けるというと、中身は形式的になりそうですが、この種の大学の場合はそうならないようなシステムを取っているのが普通です。恐らくは有名教授の講義が週に数回あり、その講義に完全に連動する形で週に数回は少人数の演習がある、そちらは大先生ではなく助教が個別指導するというようなスタイルではないかと思われます。

 では、どうして「在宅試験(テイク=ホーム・エグザム)」にしたのでしょう? 1つには、大学だけでなく高校もそうですが「宿題などの在宅課題についてクラスメイトと相談するのは御法度」というのは、アメリカでは「タテマエとしては常識」だということがあります。実際は、中高生などは友人同士で情報交換をして宿題をやっているケースが多いようですが、タテマエとしてはダメなのです。そのルール上はダメということは、学生もよく知っているということがあります。

 更にハーバードのように、古い歴史を誇る学校の場合は「定期試験の場合に、不正監視のための試験監督はしない」というような「美しい伝統」を誇っている場合があります。現在のハーバードがどこまでそうした「美風」を残しているのかはわかりませんが、その種のカルチャーがあるのは間違いないと思います。

 そうした状況の中で、先生としては非常に面白い問題、あるいは難しい問題を出題して、時間制限などの監督の緩い環境で、それぞれにユニークな答案を期待した、そんな可能性もあるように思います。少なくとも、「試験じゃなくてレポートでいい」という日本での言葉に象徴されるような「ゆるい」話ではなく、先生としては知的なチャレンジを期待したというところではないか、そんな推測もできるわけです。

 ですが、今の世代の学生にはそれは通用しなかったわけで、SNSでのコミュニケーションの発達した彼等は自然に「あの問題どうやってやるの?」「俺分かったぜ」的な軽い「ノリ」で情報交換してしまった、そこで「類似の答案がゾロゾロ」ということになったのではないでしょうか。学生としては、完全に「話し合った上での共通の答案」を出してはマズいことは知っていますから、表現などを工夫したのかもしれませんが、先生の方は「ユニークな解法のバラエティ」を期待したのに、「アプローチは全く同じ」ではないかと激怒・・・そんなストーリーが考えられます。

 いずれにしても、大変に特異な事件です。こともあろうに、ハーバードほどのレベルの学校の学生たちが「そんなヘマ」をやるというのがどうも信じられないわけです。一部には「先生は広範な資料に当たってもいいし、多くの公開情報のコラボレーションとしてのユニークな答案を望む」と言っていたという報道もあります。ある意味では「ゆるい」指示をしているのに、似たような答案だと摘発されるのは心外だという声も学生から上がっているというのです。(9月1日付の『ボストン・グローブ』)

 ちなみに、この種の事件では通常は「クロ」となれば放校処分になることが多いのです。甘くても、「コースは不可扱い」ということで、単位は認定されない一方で、評点の平均点(GPA)は大幅ダウンになる可能性があります。ですが、GPAは将来の大学院進学、就職はもとより、毎年の奨学金審査にも影響があります。4点満点のGPAで3点を切ったら「奨学金は全額ストップ」という厳格なルールのある学校が多い中で、ハーバードの場合は特別に手厚い奨学金制度がある一方で、仮にそれがストップになったら、学生1人あたり年間5万ドル(約400万円)ぐらいが吹っ飛ぶわけです。

 ということは「クロ判定」というのは、仮に125人に適用するとなると、そのインパクトは物凄いことになると思われます。どうも、この事件、落とし所が見えないような気配も漂います。だからといって、仮にグレー判定で、ペナルティなしなどということをしたら大学の権威は明らかに失墜します。とにかく、今後の展開を注目していきたいと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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