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30歳、福島出身──第三者が広島で被爆体験を語る意義
大河原さんと原爆ドーム COURTESY TOMOKO KUBOTA
<「私みたいな第三者を介してだからこそ、被爆者の想いが聞く人にすっと入っていくこともあるんじゃないかと思います」そんな大河原こころさんは、ある体験の当事者だった>
「昔から戦争をなくしたいという気持ちがあって、14歳で初めて広島に旅行して、平和の原点のような気がしました。ここで何かしたいと、26歳の時に移住してきました」
大河原こころさん(30)は、被爆者の体験や想いを伝える広島市の被爆体験伝承者養成事業に応募し、3年の研修を経て今年認定を受けた。今後は広島平和記念資料館などで、高齢化が進む被爆者に代わり被爆体験伝承講話を行う。
「もちろん当事者が伝えることは大切ですが、私みたいな第三者を介してだからこそ、被爆者の想いが聞く人にすっと入っていくこともあるんじゃないかと思います」
それは大河原さん自身が、ある体験の当事者として感じてきたことだった。
大河原さんは1990年に福島県田村市に生まれた。両親は有機栽培の農業を営み、自然豊かな山間で育った。しかし、東日本大震災によって生活は激変した。
「揺れが長かった。近くで女子高生たちが、ヤベー、チョー揺れてる、とかって笑っていたのが、徐々に悲鳴に変わっていきました。空は曇り、雪が降り、今日は世界が滅亡する日なんだ。死ぬんだなって思いました」
そして福島第一原発事故が起きる。
「震災から4日後、昼間に家族とコーヒーを飲んでいたら、R-DAN(放射線検知器)が鳴りだしたんです」
日常はいとも簡単に失われるのだと知った。そして、被爆者の苦悩を自分ごとに感じた。
「自分も放射線で子供が産めなくなるのかな、差別されるのかなって。不安でたまらなかったです」
しかし当事者の想いは、そうでない人には理解されにくかった。
「シンガーソングライターを目指してライブ活動をしていたのですが、福島出身と言うと、すぐに復興支援に結び付けられました。私の想いはあまり関係ないのかなって思った」
両親は農産物への風評被害を訴えたが、共感はなかなか得られなかった。
「怒りや恨みなどの感情がむき出しになると、経験していない人には受け入れにくいようでした」
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