コラム

トランプの「大使館移転」が新たな中東危機を呼ぶ?【展望・後編】

2017年01月18日(水)06時23分

大規模な危機を前には必ずパレスチナ情勢が動いた

 新たな危機のかぎをにぎるのは、米国で誕生するトランプ政権かもしれない。トランプ政権の中東政策が立てられ、実行されるまでには最低半年は必要であろうし、すぐには動かない。トランプ氏はシリア内戦や「イスラム国」対応ではロシアと協力することを表明しており、いまのシリア情勢に大きな変化は与えないだろう。

 トランプ政権の中東政策を考える時、オバマ政権と比べて大きく変わるのは、イスラエル・パレスチナ問題への対応であろう。オバマ大統領がユダヤ人入植地建設に反対するパレスチナ側の主張を汲みつつ、イスラエルの強硬派のネタニヤフ政権とせめぎあってきた後に、駐イスラエル米国大使館を現在のテルアビブからエルサレムに移転することを公約するなどユダヤ寄りの立場を示すトランプ大統領が就任する。

 イスラエルは1967年の第3次中東戦争で東ルサレムを占領し、80年に東西エルサレムを合わせて「恒久の首都」と宣言したが、国際的には承認されておらず、欧米や日本などほとんどの国が大使館をテルアビブに置いている。

【参考記事】米国がイスラエルの右翼と一体化する日

 パレスチナ危機と中東危機の関係で言えば、10年ごとの大規模な危機の前には必ずパレスチナが動いている。90年-91年の湾岸危機・湾岸戦争の前に、87年12月にパレスチナの第1次インティファーダが始まった。石つぶてでイスラエル軍戦車の前に立ちはだかるパレスチナの少年がアラブ諸国と世界に衝撃を与えた。90年にクウェートに侵攻したイラクのサダム・フセイン大統領は、クウェートからの撤退についてイスラエルのパレスチナ占領地からの撤退を条件としてリンケージさせた。湾岸戦争中にイラクがイスラエルに向けてスカッドミサイルを撃ったことは、パレスチナ問題と中東危機の関係を示している。

 2001年の9.11米同時多発テロの前年の2000年に第2次インティファーダがパレスチナで始まった。パレスチナ人の反占領闘争は、第1次インティファーダの時のような「不服従運動」が中心ではなく、武装闘争が中心となり、イスラエル軍も容赦のない軍事的な制圧を続けた。パレスチナ人の怒りや嘆きは共通語であるアラビア語でアラブ世界に広がり、それに対して米国の目の色を伺って何もできないアラブの政府と指導者たちに対する批判が強まった。

 2011年の「アラブの春」の前には、2008年末から09年1月にかけてはイスラエル軍によるガザ攻撃・侵攻があった。約3週間の空爆と侵攻で、パレスチナ人権組織の調べによると、約1400人のパレスチナ人が死に、その3分の2は民間人だった。この時もアラブ諸国が対応しなかったことに批判が上がった。特にガザと国境で接するエジプトは、国境を閉ざしたままで、イスラエルの封鎖や攻撃に加担しているという批判された。それが「アラブの春」で若者たちの標語である「カラマ(尊厳、名誉)」につながった。

 トランプ氏は歴代の米国大統領がパレスチナ和平の達成に名を残そうとしてきた外交努力には全く関心はなさそうである。しかし、米大使館のエルサレムへの移転など、イスラエル強硬派の主張に安易に乗るような行動をとれば、パレスチナ危機を招きかねない。それが次の中東危機のさきがけになるというのが、これまでに繰り返してきた中東危機のパターンである。中東の出来事が国際ニュースの表に出ず「下火」になったときこそ、中東の動きに目を凝らす必要がある。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米GDP、第1四半期は+1.6%に鈍化 2年ぶり低

ビジネス

ロイターネクスト:為替介入はまれな状況でのみ容認=

ビジネス

ECB、適時かつ小幅な利下げ必要=イタリア中銀総裁

ビジネス

トヨタ、米インディアナ工場に14億ドル投資 EV生
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 3

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP非アイドル系の来日公演

  • 4

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 5

    未婚中高年男性の死亡率は、既婚男性の2.8倍も高い

  • 6

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 7

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    やっと本気を出した米英から追加支援でウクライナに…

  • 10

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこ…

  • 7

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 8

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story