苦労人シャネルと生まれながらの貴族のライバル、そして戦争
Chanel and Schiaparelli: Rivalry on the Riviera

AndreaAstes-iStock
<第2次大戦前夜のフランス社交界で出会ったスキャパレリとの競い合いが唯一無二のデザイナーを生み出した>
「5番」という名の香水で知られ、ファッションの世界に輝く巨星ココ・シャネル。第二次大戦の足音が近づく1930年代にも、彼女は南仏リビエラの社交界の華だった。そして自分より少し若い女性デザイナーのエルザ・スキャパレリと、激しく競い合ってもいた。
イギリスの社会史家アン・ド・コルシーは新著『シャネルのリビエラ──その魅惑と退廃、平和と戦争の中でのサバイバル(Chanelʼs Riviera: Glamour, Decadence and Survival in Peace and War )』で、シャネルの台頭とライバルとの華やかな競争を、戦争の気配に怯えるヨーロッパの闇と対比して描いた。以下はその抜粋。
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1932年当時、ガブリエル・ボヌール(ココ)・シャネルは誰よりも有名だった。しかしシャネルの王座を脅かす個性的なライバルが台頭していた。彼女の名はエルザ・スキャパレリ。価値観も生まれも育ちもシャネルとは正反対で、当時の前衛的な芸術家 たちに囲まれていた。
相反する2人の視点は、それぞれの強みを発揮する方向に働いた。シャネルは、女性が服を着るのであって、服は主役ではないと信じていた。 一方、スキャパレリにとっての服は芸術。いい例が、サルバドール・ダリとコラボした「ロブスター・ドレス」だ。
シャネルはルックスも魅力的で、官能的かつ両性具有的で、シックだった。ショートヘアと細い体は、彼女の服の控えめな優雅さを引き立てた。有名な男たちと親密に交際してもいた。
何もかも対照的な2人
シャネルとそのシンプルなスタイルはブランドとなり、自身がその生きた広告塔だった。「私にとってシンプルであることは、本物の優雅さの基調だ」と言っていた。
既にシャネルは、代表作の1つであるリトル・ブラック・ドレスを発表していた。ある晩、劇場で非常に手の込んだ服を着た女性を見たシャネルは「あんなの長くは続かない」と言った。「私がみんなに着せるドレスはシンプルで、しかも黒なの」
それまで黒は喪服限定の色だった。だからシャネルは新しいアイデアを持ち込んだだけでなく、社会的タブーを破ったことになる。
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