暴力はルールで飼いならせたか
この野蛮なゲームに転機が訪れたのは産業革命の時代だ。舞台が農村から学校へと移ると、教育的な観点から「暴力を排除するためのルール化」が進められた。その過程で、徹底して手を排除した「サッカー」と、手の使用を認めた「ラグビー」へと分かれていく。私たちが今熱狂している近代サッカーは、いわば「いかに暴力をルールで飼いならすか」という試みの果てに生まれたスポーツなのだ。
しかし、人間が持つ根本的な暴力性や闘争本能は、ルールひとつで消えてなくなるほど単純ではない。ピッチの上から暴力が排除されると、それは形を変えて、フーリガン(暴徒化したサポーター)へと受け継がれた。
その最悪の結末が、1994年のアメリカ・ワールドカップで起きたコロンビア代表DFアンドレス・エスコバル選手の射殺事件である。オウンゴールを献上し、グループステージ敗退のスケープゴートにされた彼は、帰国後にレストランの駐車場で銃弾12発を撃ち込まれた。犯人の一人は「自殺点をありがとう」と言っていたという(この後、「自殺点」という言葉は改められた)。
日本とて他人事ではなかった。1997年、フランスW杯アジア最終予選のUAE戦。勝てば2位に浮上する大一番を引き分けで終えた直後、国立競技場の周辺は暴徒化したサポーターで埋め尽くされた。様子を見に現れた三浦知良選手に対し、フェンス越しに罵詈雑言が浴びせられ、卵が投げつけられた事件は、日本サッカーの影を象徴する出来事として記憶されている。