<犯罪者は見た目では分からず、「怪しい人」を探す防犯は限界を抱えている。凶悪犯罪を防ぐために本当に必要な視点とは──>
子供を不幸にする出来事といえども、それが予測できれば予防できる。つまり、子供の周りにある危険も、予測できれば回避できる。そこで、子供の安全対策では、様々な危険について、その予測能力の向上が大切になる。しかし、それが最も遅れているのが「犯罪」の危険だ。
日本では、「だれ」が犯罪を行おうとしているのかを見極めることによって、犯罪を予測しようとしている。そのため、子供たちは、親や先生から、「不審者」に注意するように言われている。このように「人」に注目するのが「犯罪原因論」だ。
そもそも、「犯罪原因論」では、犯罪者という「人」にどのような刑罰を科すべきか、どうすれば犯罪者という「人」を更生させられるのかが議論されてきた。ところが、最近になって、防犯への社会的関心が急速に高まった。
とはいえ、欧米諸国で防犯の役割を担っている「犯罪機会論」が日本では普及していなかったため、無理矢理「犯罪原因論」を防犯に持ち込んだ。ところが、犯罪はまだ発生していないので、犯罪者は存在しない。そこで苦し紛れに登場させた言葉が不審者だ。そして、不審者という言葉が定義されないまま、現在まで独り歩きしてきた。
しかし、不審者という名の「危ない人」から、犯罪を予測することは不可能だ。なぜなら、「危ない人」は見ただけでは分からないからだ。心の中は見えないし、「危ない人」は、できるだけ目立たないように振る舞う。
「危ない人」は見た目で分からない
かつて、行方不明になった愛犬を車で捜していた女性が、子供に尋ねただけで通報されたことがあった。そうした問題だけでなく、別の問題もある。子供に不審者を発見せよと無理な要求をすればするほど、大人への不信を増長させ、あいさつ運動や親切運動を後退させてしまう。さらに、無理矢理、不審者を見つけようとして、知的障害者、ホームレス、外国人などを不審者扱いし、差別や排除につながる危険性もある。