タイで働きながら、日本とのカルチャーギャップに驚き、時に癒される暮らしをコミックエッセイとして発表する桐越舞子さん。その山あり谷ありの様子は彼女がペンネーム「おこめ」名義で発表し当サイトにも掲載された『子供と2人日本脱出タイ暮らし。10年目』でも窺うことができる。

前編では、就職氷河期世代としての苦労から離婚、東日本大震災を経てのタイ東北部への“脱出”、そして現地で出会ったタイ人の夫との壮絶な結婚生活までを振り返ってもらった。後編では、シングルマザーとしてバンコクで再スタートを切った桐越さんが、どのようにタイでの生活を築き、子供たちを育て、コミックエッセイ作家として活動するようになったのかを聞いた。

※前編:【月3万円で生活】氷河期シングルマザーがタイ東北部へ脱出 震災が後押し……そして第2の脱出 より続く。

社長だけ日本人、あとは現地スタッフという日系企業に就職

ダメ元の就職活動から1週間ほどでつかんだバンコクでの仕事は、小さな日系企業の事務職だった。社長のほかは全員タイ人スタッフという環境で、前任の日本人事務員が辞めるタイミングで採用された。

ただ、生活では買い物ができるようになっていたタイ語も、職場では十分ではなかった。製造現場には英語を話さないスタッフも多く、仕事を通じてタイ語を覚えた。

「小さい会社だったので、社長だけ日本人。あとは現地ローカルスタッフで、事務員が日本人だったんですけど、その方が辞められるということで私が入って。日本人2人にタイ人だけという環境だったのでタイ語の勉強にはうってつけでした」

タイ語ができれば、職場だけでなく住居探しや行政手続きでも自分で動ける。仲介業者に依頼する必要が減り、余計な費用を抑えられることもあったと振り返る。

一方で日本人とタイ人の間に立ち、通訳のような役割も担った。両者の考え方の違いに板挟みになることもあったが、揉め事を避けるためにあえて訳さないこともあったという。

仕事よりも家族を優先する感覚
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