タイで働きながら、日本とのカルチャーギャップに驚き、時に癒される暮らしをコミックエッセイとして発表する桐越舞子さん。その山あり谷ありの様子は彼女がペンネーム「おこめ」名義で発表し当サイトにも掲載された『子供と2人日本脱出タイ暮らし。10年目』でも窺うことができる。

2012年、シングルマザーの桐越さんは幼い長男を連れ、タイ東北部のノンカイ県へと渡った。

タイ語で分かるのは、「サワディーカー(こんにちは)」と「コップンカー(ありがとう)」だけ。下見に行く費用もなく、現地での仕事も決まっていなかった。

「行ってみて、だめだったら帰ってくればいいと思っていました。人には勧められないくらい、無計画でした」

無計画。そう言い切れるまでには、長い道のりがあった。就職氷河期の就職活動、非正規雇用、結婚と離婚、そして東日本大震災。桐越さんの波乱に満ちた人生を辿る。

ホテルマンへの憧れと就職氷河期

秋田県で生まれ育った桐越さんは、ホテルマンに憧れて東京の観光専門学校へ進学した。旅行が好きで、ツアーガイドにも関心があったが、方向音痴だったためホテル業界を志望したという。だが、卒業時期が最悪だった。就職氷河期。

ホテル業界にはそもそも求人が少なく、採用があっても数人規模だった。有名ホテルの説明会には何千人もの応募者が集まり、その中には4年制大学の卒業者も多かった。専門学校卒の自分が採用を勝ち取るのは難しい。桐越さんは、早い段階でそう悟った。

早々にホテル業界への就職を諦め、派遣社員として飲食店やホテルのウエイトレス、バーの仕事を転々とすることになる。正社員として働いた経験は一度もない。

「ずっと正社員で働いたことがなかったんですよ。就職氷河期だったので、早々に就活は諦めてずっと派遣社員で、しかも飲食店とか販売員だとか、そういう接客業をずっとやっていた」

就職活動をするまで、接客業の給料が安いことすら知らなかったという。そのまま派遣スタッフとして東京で約10年を過ごした。

結婚、出産、そして離婚 ── 秋田への出戻り
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