海外に住む日本人は約130万人。それぞれが異なる事情を抱え、日本では起こり得ないようなことも時に経験しながら、日常を生きている。
ナカジマツネヒサさん(48歳)は2004年、ミュージシャンになる夢を抱き、学歴もないままグリーンカード(アメリカ永住権)を手に渡米した。しかし2010年、仕事も家族も、家も失った。
その時、32歳。
現在は日系IT企業の現地法人でCOO(最高執行責任者)を務め、アメリカ国籍であり、2.4万人のフォロワーを持つXでも活躍するナカジマさん。ホームレス寸前にまでなったあのどん底から、どうやって這い上がったのか。
海外で暮らす日本人のリアルライフを追うシリーズ、ナカジマさんの物語の後編をお届けする。
※前編:「離婚して、ホームレス…」永住権に当選して渡米した48歳が、貧困の中でも“手を出さなかった”こと より続く。
ホームレス寸前、なんとか旅行会社に職を得たが
当時の妻に離婚を突きつけられ、住む場所まで失ったナカジマさん。「惨めな状況を知られたくない」と、ほとんど誰にも連絡できなかったが、唯一、日系アメリカ人の友人がガレージを寝床として貸してくれた。
ホームレス寸前になったが、本当の路上生活には陥らずに済んだ。生き延びた。
ナカジマさんは、再びレストランで働くことも考えた。ところがその友人は止めた。今ここで飲食業に戻れば、年齢的にもホワイトカラーの仕事に二度と就けなくなる。どれだけ給料が安くてもいいから、ホワイトカラーの仕事を探すべきだと。
そこでナカジマさんは、エントリーレベルの事務職に片っ端から応募した。
結果は、ほぼ全滅。
大学中退、ミュージシャン、レストラン・ビデオ店勤務、失敗した会社経営……。お世辞にも魅力的な職歴ではない。日系企業の面接では、「こんな適当な人生を歩んでるなんて、君はダメな人間だ」と説教されたこともあった。
そんな中、最後に引っ掛かったのが旅行会社の営業職だった。
仕事は新規獲得の飛び込み営業。ブラックな職場で、ナカジマさんは朝から深夜まで「徹底的にこき使われた」と振り返る。メンタルを病むほどだったが、もう「音楽で食っていく」などと言っていられない。
「ホームレスに戻りたくないから、とにかく必死に働きましたよ」
全米の日系企業を調べ上げ、電話をかけ、メールを送り、手紙を書いた。担当はシアトル、サンノゼ、ロサンゼルスを含む西海岸一帯。アポは簡単には取れないから、手紙が届く頃を見計らって相手企業のビルの前まで行き、電話をかける。
「手紙は受け取りましたよ。君も一生懸命やってくれてるけど、ちょっと時間ないんだよね」
「実は、もう御社のビルの前にいるんです」
そこまで言われると、担当者も会わざるを得ない。
こうしてナカジマさんは、大手企業の取引口座を開設していった。