その理由の1つは、イランでは今も、ご近所同士の距離が近いことにあるのだろう。朝、パン(ナン)屋に行けば、顔なじみの誰かが声をかけてくる。数日姿が見えなければ、「大丈夫?」と近所の誰かが訪ねてくる。

もちろん、親戚付き合いや近所付き合いを負担に感じる人もいる。だが、その少し「おせっかい」にも見える関係性こそが、人を完全な孤立から遠ざけている面も確実にある。

そうした空気はジャファル・パナヒ監督の映画『人生タクシー』(2015年)にも、映し出されている。

テヘランの街を走るタクシーの中で、初めて会った人同士が、政治、生活、不安、死刑制度、そして日常について自然に語り合う。決して経済的には豊かとはいえない暮らしの中でも、人が誰かと関わりながら生きる姿が、さりげなく描かれている。

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一方、日本で暮らしていると、「迷惑をかけないこと」がとても大切にされていると感じる。奥ゆかしさは、確かに美しい。日本社会の美徳でもある。しかしその美徳が、時に「誰にも頼れないこと」に変わってしまう瞬間がある。

私が関わっている子供食堂「おせっかい食卓」や地域の支援の現場でも、近年は高齢者がふらりと1人で訪れてくることは決して珍しくない。

最初は「ここは子供たちの場所だから」と遠慮がちだったのが、何度か通ううちに、少しずつ椅子に座る時間が長くなっていく。ある高齢女性は、「今日は、誰とも話していなかったから」と小さな声でスタッフに言ったという。この一言には、統計には表れにくい孤独がある。

日本とイランの2つの社会
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