<人は何によって支えられているのか? 日本とイランの2つの社会で考えた「つながり」について>

東京で暮らしていると、独りで過ごすことが、ごく自然に社会の中に組み込まれていることにふと気付く。

電車の中では、誰もが静かにスマートフォンを見つめている。隣人には必要以上に踏み込まない。カフェで独りで過ごすことも特別ではない。日本では、誰もが相手の時間や空間を尊重している。私自身、その距離感に何度も救われてきた。

しかし、ニュースで「孤独死」という言葉を耳にするたびに、胸の奥がざわつく。亡くなってから数日あるいは数週間、誰にも気付かれないまま時間が過ぎていく。

日本では高齢化が進み、独り暮らしの高齢者も年々増えている。介護や医療だけでなく、社会とのつながりを失っていく人々をどう支えるのかが、大きな課題になっている。それは、「独り」を尊重する文化の美しさとは、明らかに別の問題だ。自分で選ぶ孤独と、誰にも気付かれない孤独は全く違うからだ。

もちろん、私の故郷イランにも、1人暮らしの高齢者はいる。都市化が進み、家族の形も変わってきた。特にテヘランのような大都市では、地方都市から移ってきた若い世代が1人で暮らすことも近年は増えてきている。

また、制裁による長年の経済悪化、若者の失業率の高さ、住宅価格の上昇も、家族の在り方に影を落としている。その結果、結婚や出産を諦め、独りで生きることを選ばざるを得ない人も増えている。それでも、「亡くなってから何日も誰にも気付かれなかった」という話は、ほぼ耳にしたことがない。

少し「おせっかい」にも見える関係性
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