韓国・青瓦台再移転の舞台裏 ── シャーマン、盗聴器、そして失われる高麗遺跡
再び大統領が戻ってくる青瓦台(撮影=筆者)
<わずか3年で2度の移転。その背景に何があったのか>
李在明(イ・ジェミョン)政権が発足して約半年経った12月8日、韓国大統領府を龍山(ヨンサン)からもともとの青瓦台に戻す再移転作業が開始された。大統領執務室など業務施設は年内に引っ越しを終えて1月から使用する予定で、続いて大統領が居住する公邸の移転作業に着手する。
大統領府の移転を公約に掲げて2022年3月に当選した尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領は、大統領府を大統領室に改名して、光化門(カンファムン)近くの政府ソウル庁舎か外交部庁舎、龍山区の国防部庁舎のいずれかに移転する考えを示した。最終的に警備上の理由から国防部庁舎への移転を決め、大統領夫妻が居住する公邸も漢南洞(ハンナムドン)の外交部長官公邸に移した。
尹前大統領は就任した2022年5月10日から新庁舎で業務を開始し、青瓦台は一般に開放されたが、25年6月4日に就任した李在明大統領は「龍山の大統領室は尹政権のイメージが強い」として再び青瓦台に戻すことを決定した。青瓦台の一般公開は8月1日に中止され、9月末から移転準備に取りかかっていた。
政府は移転費用として259億ウォンを計上、国防部ももともと龍山にあった機能を戻すため238億ウォンの再移転費用を要求している。
かつて王族が住んでいた土地
青瓦台周辺は高麗時代に王族が住んでいた場所とされており、朝鮮王朝の始祖である李成桂(イ・ソンゲ)が景福宮を創建した。日本統治時代の1926年、景福宮の南側に朝鮮総督府庁舎が建てられ、39年には景福宮北側の後苑に総督官邸が建てられた。
大韓民国が成立した48年、初代大統領の李承晩(イ・スンマン)が総督官邸を官邸および公邸として使用を開始し、景武台と呼ばれたが、第4代大統領の尹潽善(ユン・ボソン)が60年12月に青瓦台へ改称した。盧泰愚(ノ・テウ)政権下の1991年、敷地内に新たな官邸が建設され、旧総督官邸は1993年に解体された。
青瓦台という名称は屋根が青い瓦で葺かれていることに由来する。英語では米国のホワイトハウスに倣ってブルーハウスと呼ばれており、敷地面積はホワイトハウスの3倍を超える25万平方メートルで、大統領執務室がある本館や大統領と家族が居住する官邸、秘書官らが詰める建物や迎賓館などがある。






