『私は確信する』が教える「確信」することの危うさ
冤罪が多く生まれる背景には、ヴィギエ事件や袴田事件と同様に和歌山カレー事件でも、メディアの影響が大きく働いている。
彼女がクロかシロかの断定は僕にはできない。でもこれだけは言える。少なくとも有罪判決を下せるほどの法的手続きを、司法は全く果たしていない。
この映画を観ながら、日本より成熟しているはずのフランスの刑事司法も、検察の正義の暴走やメディアの影響など、日本と同じような危うさをはらんでいることを知った。
そのキーワードはタイトルにもある「確信」だ(原題は「Une intime conviction」)。有罪を信じる側と無罪を信じる側。どちらもそれを正義なのだと確信している。
確信は真実ではない。揺るがないからこそ、むしろ真実を閉ざす扉になってしまう。
資料によれば、メインキャストでヴィギエを救おうと奔走するシングルマザーのノラは、登場人物の中ではほぼ唯一、映画のために造形された人物らしい。
ヴィギエの無実を「確信」して弁護活動を手伝うノラは、彼女自身の正義を実践するために一線を踏み外しかける。まさしく刑事司法という怪物を見つめすぎて、自分自身も怪物になりかける。
彼女をいさめるのが、ずっと並走してきたエリック・デュポン・モレッティ弁護士だ。ちなみに彼は、後にマクロン政権で法相に任命されている。






