コラム

「W杯は究極のドラッグ」試合のためなら睡眠時間を犠牲にするし、ガラスの上だって這い回る

2022年12月23日(金)14時50分
イングランドのファン

W杯準々決勝の観戦で熱狂するイングランドのファン(12月10日、ロンドンのパブ) Toby Melville-REUTERS

<生活を犠牲にしてまで手を出し、束の間のハイを味わい、渇望感に襲われる......サッカーワールドカップは極限のドラッグだ>

アメリカの小説家ウィリアム・バロウズはかつて、ヘロインを「理想的な製品」だと描写した。もちろん彼は、致死性の麻薬をまるで称賛するかのようなその姿勢で厳しく非難された。でも、彼はちゃんと説明している──ヘロインは、人が手を加えたり、改悪したり、値段を吊り上げたりできて、まともに売買できない唯一の製品であり、消費者はそれを手に入れるためなら粉々のガラスの上だって這い回るだろう、と。

僕がサッカーに抱くのもそんな感情だ。サッカーは身体に入り込んでくるドラッグ。そして、ワールドカップ(W杯)は極限のドラッグだ。

どんなにFIFAが商業主義に染まろうと、いかに彼らの腐敗が暴かれようと、彼らが観戦チケットをいかに高額に吹っ掛けようと、W杯でなければ決して訪れる気にならない抑圧的な体制で宿泊施設もお粗末、ビールはとんでもなく高い、という国がホスト国になろうと......ファンはそれでも参加するだろうし、僕は仕事の日なのに午後をガーナの試合観戦で台無しにし、寝なければいけない時間をかなり過ぎてまでモロッコの試合を録画で見て応援することになる。

FIFAの腐敗は十分承知しているのに

僕は友人と家族のみんなに、僕が100%見たことが確実な試合以外は絶対に一言も話題にしないで、と言っている。

謎めいたヒントを匂わせる「賢い」つもりの人々は、ことさらムカつく。たとえば「最初の5分は見逃すなよ」とか「何が起こったかは言えないけど、今回ピッチで最重要人物だったのは審判だね」とか。そんなことを言われたら、僕は試合全体をその「色眼鏡」で見てしまうからだ──OK、怒涛の開始5分が過ぎたら大きな展開はないんだろう、とか、レッドカード2枚にペナルティーキックが与えられるんだろう? とか。

何を当たり前のことを、と思われるのを承知で言えば、サッカーの美しさは、次に何が起こるか分からないところにある。オランダはアルゼンチン戦でかなり遅い時間になんとか2点を奪い、フランスは一見ボロボロになったところから這い上がり、そして結局はオランダもフランスも優勝を逃した。

FIFAはこの完璧な製品を支配し続ける恐ろしく腐敗した組織だ。人はその試合を見るためなら粉々のガラスの上だって這い回るし、翌日も仕事だという日に朝の6時まで夜更かしするし、いつもよりみじめな気分になったりウキウキしたりする。だがそれでも、激しい渇望に抗うことができないのだ。

【映像】W杯優勝後のブエノスアイレスを空撮 サポーターたちの度肝を抜く熱狂が話題に

ニューズウィーク日本版 日本時代劇の挑戦
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年12月9日号(12月2日発売)は「日本時代劇の挑戦」特集。『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』 ……世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』/岡田准一 ロングインタビュー

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

NYタイムズ、パープレキシティAIを提訴 無断複製

ワールド

プーチン氏、インドに燃料安定供給を確約 モディ首相

ビジネス

ネットフリックス、ワーナー資産買収で合意 720億

ビジネス

米ミシガン大消費者信頼感、12月速報値は改善 物価
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い国」はどこ?
  • 2
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」が追いつかなくなっている状態とは?
  • 3
    「ボタン閉めろ...」元モデルの「密着レギンス×前開きコーデ」にネット騒然
  • 4
    左手にゴルフクラブを握ったまま、茂みに向かって...…
  • 5
    主食は「放射能」...チェルノブイリ原発事故現場の立…
  • 6
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 7
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 8
    『羅生門』『七人の侍』『用心棒』――黒澤明はどれだ…
  • 9
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 10
    高市首相「台湾有事」発言の重大さを分かってほしい
  • 1
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 2
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 3
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 4
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 5
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 6
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 7
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 8
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 9
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 10
    トランプ支持率がさらに低迷、保守地盤でも民主党が…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story