コラム

『オッペンハイマー』:被爆者イメージと向き合えなかった「加害者」

2024年04月11日(木)10時35分

原爆によって世界が崩壊する可能性を知るということは、オッペンハイマーにとって、自分の慣れ親しんだ世界が突然「不気味なもの」「疎遠なもの」として認知されることを意味する。従ってオッペンハイマーはそれを避けるために、被爆者のイメージを抑圧せざるを得ないのだ。

 

そして、ある意味ではこれは、アメリカの縮図ではないだろうか。世界を何度破壊しても足りないぐらいの核ミサイルを持ち、世界で唯一人間の頭上に原爆を投下した国が、今になってもなお原爆の被害と向き合えないのは、被害と直接向き合ってしまうと、この世界が崩壊するイメージがトラウマのように広がっていき、社会が根本から崩れ落ちる恐怖に苛まれる。クリストファー・ノーランはそれを寓話的に描いていると解釈することもできるのではないか。

エピメテウスとしてのオッペンハイマー

もう一つ重要な点は、この映画ではオッペンハイマーを「殉教者」としてヒロイックに描くこともしていないということだ。映画では、オッペンハイマーはのちに政敵の陰謀によって「赤狩り」の対象となり、社会的な地位を失墜させられてしまう。さらにその政敵は、オッペンハイマーはそのような理不尽な迫害を甘んじて引き受けることによって、原爆の罪滅ぼしを行おうとしている、というオッペンハイマーの隠れた意図を暴露している。そしてその作戦は成功しないだろうとも言う。映画では晩年のオッペンハイマーが表彰を受けるシーンで終わる。彼は「原爆の父」という「栄光」から死ぬまで逃れられないのだ。

ここで描かれているオッペンハイマーの一面は、火を人間に与え、その結果磔にされ、ハゲタカに内臓を永遠に啄まれることになった「殉教者」プロメテウスのイメージとは異なる。むしろプロメテウスの忠告を無視してパンドラと結婚した結果、世界に災厄が振りまかれるきっかけをつくったプロメテウスの兄弟、エピメテウスになぞらえる方がしっくりくる。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国で「南京大虐殺」の追悼式典、習主席は出席せず

ワールド

トランプ氏、次期FRB議長にウォーシュ氏かハセット

ビジネス

アングル:トランプ関税が生んだ新潮流、中国企業がベ

ワールド

アングル:米国などからトップ研究者誘致へ、カナダが
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 2
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ」が物議...SNSで賛否続出
  • 3
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の展望。本当にトンネルは抜けたのか?
  • 4
    現役・東大院生! 中国出身の芸人「いぜん」は、なぜ…
  • 5
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 6
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 7
    「体が資本」を企業文化に──100年企業・尾崎建設が挑…
  • 8
    高市首相の「台湾有事」発言、経済への本当の影響度.…
  • 9
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 7
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 8
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story