64年の東京五輪で日本代表を指導したドイツ人コーチ、デットマール・クラマーが語ったこと
僕は無礼にならない程度に、感情を爆発させたいほうだ。パスが味方の頭の10メートル上を飛んでいき、タッチラインを割ったときに「ドンマイ!」と慰める気にはなれない。
実際、僕は等々力陸上競技場(現・Uvanceとどろきスタジアム)で、「ここどうぞ」と空席を示してくれた女性を怒らせてしまったことがある。「(外国人は)応援の仕方が違うよね」と、彼女は連れの男性にこぼした。僕に空席を教えたことを悔やんでいたに違いない。
日本サッカーを思うたび、僕は97年の出来事を思い出す。日本代表は翌年のW杯への初出場が決まっていたが、サッカー熱はまだそれほど広がっていなかった。
僕は当時、本誌編集部の新米記者だった。サッカー記事の企画を出しても、なかなか会議に通らない。そんなとき、同僚の1人が素晴らしいアイデアを思い付いた。64年の東京五輪に向けて日本代表を指導したドイツ人コーチ、デットマール・クラマーにインタビューしようという。
そのアイデアは最高の記事になった。クラマーの言葉を一言も削りたくないと思えた。
28年後の今も、クラマーの言葉はほとんど覚えている。日本の選手は60年代後半にめきめき力をつけていったと、彼は振り返った(ペリマンも「日本の選手はあらゆる知識を吸い取っていく」と語っていた)。
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