1880年のこと、ギリシャ中部にあるカイロネイアという村で、古代の集団墓地がほぼ手付かずの状態で発見された。埋葬されていたのは254人の兵士で、中には2人1組で互いに腕を組んだ姿で眠る遺体もあった。

彼らは古代ギリシャの都市国家テーベの「神聖隊」の兵士だったと考えられている。神聖隊は愛し合う男性カップル150組で構成された重装歩兵の精鋭部隊。テーベが当時の強国スパルタの支配を脱して間もない紀元前378年頃に編成され、ギリシャ中部を中心に北はテッサリア、南はペロポネソス半島まで各地を転戦した。

もっとも(ギリシャ史にはよくあることだが)神聖隊に関して確たる歴史的資料が残っているわけではない。伝えられている内容の多くは、500年も後のローマ帝国の時代にギリシャ出身の哲学者で伝記作家のプルタルコスが書き残したもので、彼が執筆に使った資料は現存していない。

そもそもプルタルコス自身、断言を避けているのだ。彼は『英雄伝』のペロピダス(テーベの将軍で政治家)を扱った項において「この部隊は愛する者と愛される者で構成されていたと言う人もいる」と書いている。

いわく、愛する者は愛される者の前で、そして愛される者は愛する者の前で卑怯な振る舞いをするのを恥じるし、危機に際しては互いを守るために断固として敵に立ち向かうからだ、というわけだ。

哲学者プラトンの有名な作品『饗宴』には、もし愛する者と愛される者から成る軍隊があれば、非常に優れたものになるだろうと、登場人物の1人が語るくだりがある。

愛する者と愛される者は互いのために戦うし、互いの目の前で不名誉な振る舞いをするのは避けるはずである。だから愛する者と愛される者から成る軍隊は、たとえ少人数だったとしても全人類に勝利し得るし、エロスの神に鼓舞されればどんな臆病者も勇敢に戦うはずだ──。ちなみにプラトンが『饗宴』を書いたのは、テーベで神聖隊が編成される少し前の時期だったとみられる。

ちなみに恋人たちを指す「愛する者(エラスタイ)」と「愛される者(エロメノイ)」という言葉には、古代ギリシャにおいて性的関係が基本的に年長者と年少者の間で成立していたことが反映されている。例えばアテネでは男性の初婚年齢が20代後半だったのに対し、女性では14歳くらいだった。

古代ギリシャでは同性愛は一般的な風習だったが、この場合も同様に、大人の男性と少年という組み合わせが普通だった。年齢的には下は12歳くらい、あごひげを伸ばし始めるようになったら卒業だ。また、愛する者は同性だけを愛していたわけではない。結婚する(している)のも、子供がいるのも当たり前だった。

年長の愛する者と年若い愛される者の関係には、師弟関係のような側面もあった。その一方で、一定の慎み深さが求められた当時の社会においても、その関係には明らかに性的な要素が含まれていた。

だが過去には古代ギリシャの同性愛の性的な側面について、歴史家たちがはっきりとは認めたがらなかった時代もあった。例えば19世紀の研究者たちは、同性と性行為を行っていたなどという「汚名」から古代ギリシャ人を守ろうとした。

ところでテーベの神聖隊の場合には、愛される者のほうも激しい戦闘に耐え得るくらいに──せめて20歳くらいには成長している必要があったはずだ。つまり、同性愛に関する習俗はテーベとアテネで異なっていた可能性がある。

アテネにも生涯連れ添う同性愛カップルはいたし、プラトンの『饗宴』にも登場する。だがそうした人々が嘲笑の対象にされることも少なからずあったかもしれない。アテネの人々は、大人の男性が同性との性行為で「受け」になるのは恥ずかしいことだと思っていたのだ。

だがテーベでは事情は違っていたのかもしれない。テーベでは、ヘラクレスの甥でその愛される者だったイオラオスの墓の前で、同性愛カップルが愛を誓い合っていたようなのだ。

だから神聖隊の兵士たちも「愛される者」の側が大人になっても関係が続いたケースだったのかもしれない。では入隊後も性的な関係は続いていたのだろうか。

プラトンと同時代を生きたギリシャの文筆家、クセノフォンの書いた『饗宴』(プラトンの『饗宴』への答えとして書いたから同じ題名なのかもしれない)には、はっきりと、そして批判的に、一緒に戦う一方で共寝もする兵士たちのことが書かれている。だからたぶん、答えはイエスだ。

古代史の専門家の中には懐疑的な見方をする人もいるが、神聖隊の物語は(それが真実であれ作り話であれ)、19世紀の墓の発見以降、多くの人々にとってインスピレーションの源となった。

そして神聖隊は強さと規律正しさ、勇猛さで知られるようになった。その武勲の中でも特に名高いのが、スパルタに勝ち覇権に終止符を打ったレウクトラの戦い(紀元前371年)における活躍だ。

そして神聖隊の兵士たちにとって最後の戦いになったのが、紀元前338年のカイロネイアの戦いだ。テーベとアテネに率いられたギリシャ連合軍は、マケドニアのフィリッポス2世とその息子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)に敗北した。

死後2000年以上たって腕と腕を組んだ状態で見つかった兵士たちはたぶん、カイロネイアの戦いで共に命を落とした本物の恋人同士だったのだろう。今日、この場所には、神聖隊の誇りと強さの象徴としてライオンの像が置かれている。

古代ギリシャ史に残るテーベの神聖隊
神聖隊の墓所に立つライオン像 DEA-G. DAGLIORTI-DE AGOSTINI/GETTY IMAGES

The Conversation

Peter Londey, Honorary Lecturer in History, Australian National University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

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