常に姉に関する何かが起こり、解決するわけでもなかった

結局そうした状況と、そこにまつわる思いは20年以上続くことになる。

両親は共に医師であり、札幌市内で勤務していた父親はそののち、関東地方に単身赴任することになった。毎日電話がかかってくる父親に対し、子どもたちには「今日は何ページ進んだ」と勉強の報告をする義務があったらしい。

教育熱心だったことがうかがわれる話だが、とはいえ「ガリ勉」至上主義というわけではなく、当初の家庭内は穏やかだったような印象を受ける。

事実、著者はサボって叱られたりもしていたというが、姉にとって父親は「絶対」であり、尊敬できる存在だった。

  当時、姉は医学部を目指して二浪し、その後一度文系の大学に入学するのですが、退学。翌年に理系の大学に入り直していました。試験勉強の面では、姉は父に忠実に過ごしていたけれど、受験をめぐる日常には紆余曲折があり、さまざまなストレスがあったと思います。(28ページより)

姉に最初の急性症状が起きたとき高校2年生だった著者は、そののち筑波大学を受験するも失敗。だが単身赴任で父親のいないい家に母親と姉だけを残しておくのは心配だったため、一浪した後、地元の北海道大学へ進学した。

ところが、家にいれば常に姉に関する何かが起こり、しかも解決するわけでもなかった。そのため英語の単位を落としてしまったところ、担当教官から「なんでこんなに簡単なことができないんだ。受験英語より易しいぞ」と注意された。

「これからオウムに入信する」と家を出た姉を追って
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