World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマー人材業に関わっている中で思うこと

日本語学校などが多い街の様子:筆者撮影

おはようございます。
日本はまだまだ寒い時期だろうと思います。
ミャンマーも今が恐らく一年で一番平均気温が低いのかなと思ったりします。
10年いても中々一年のサイクルというのがよくわかっていなかったりしています。
ただ、朝クーラーをかけていた家から出ると、実は外の方が涼しかったというような事がおこったりするので20度を下回るような気温になる事もしばしばあるようです。

それでも日中は30度を超えてきたりするので日本とはまた違う季節感で日々生活しているところです。

さて、今回はミャンマーの人材業について私個人の思うところをお伝えしていこうと思っています。
特にデータなどは提示しないのであくまで私個人の肌感だと思っていただければ幸いです。

本題の前にお知らせです。
毎週木曜日21時(ヤンゴン時間18:30分)ClubhouseとFacebookでラジオ放送をやっております。
その名も「ミャンマー言いたい砲台ラヂオ」
現在は116回目を終えたところですが、この番組の100回記念を祝してこのような特別記事を販売しています。


ご支援いただいた分は番組が盛り上がる何かに活かしたいと思います。
冒頭3000文字程を無料で公開しております。
是非とも私たちの活動を知っていただくためにも読んでいただけたら幸いです。

それでは本題です。

思い返すと2014年にミャンマーに来て、1年くらい経った頃にはミャンマー人材というのはヤンゴンではそれなりに話題になっていました。
ただ当時は日本へ行ったミャンマー人のその後の色々な事件や問題などの話を聞くにつれ、とてもじゃないけど自分が参入するという考えは持てませんでした。
人の事を考えれば儲け的にビジネスが厳しくなり、儲けの事を考えると(私が思うに)非人道的なビジネスにならざるを得ないようなそんな構造的な問題が沢山あるという印象でした。

人材業というのは人の人生に大きく関わる事になります。
そういった事が自分には重荷という風に感じていたのも敬遠する理由だったのかもしれません。
しかし、ミャンマーにいる日本人は決して多くはないという理由から。
日本に行く為にはという相談は沢山受けました。

日本語を教えたり、日本にまつわる事を教えるという機会も少なくありませんでした。
日本語の授業もしましたし、変わったところで言うとボーカルのレッスンなんかも日本語で行いました。
ほんの僅かでも教えるという行為をするとこちらの人は皆「先生」と親しみを込めて呼んでくれます。
嬉しい事ではありますが、そう呼ばれる事にも違和感はありました。

そもそもですが、私は人に教わるというのがあまり好きでは無いのかもしれません。
正しくは振り返ると「本当に尊敬できる先生」というのが少なかったと感じているのだと思います。
自分が尊敬できない先生たちに抱いていた感情がもし自分の生徒に向けられたら凄く辛いという思いがどこかにあるのだと思います。

ただ日本から来ただけの人間が日本について語るというのもおこがましい気がしていました。
しかし、最近ようやくですが、その考えが変わってきたように思います。
この10年、教師という仕事ではないにしろ私が日本語や日本語を使って様々な事を教えた生徒は確実にそれで何かを得て大変なミャンマーや日本で頑張っている事実が積みあがってきたからです。

私はミャンマー語が全然話せません。
英語も大して話せる訳ではありません。
日本から出てもほぼ日本語だけで暮らしている人間です。
ですが、それは逆を返せば日本語をとことん使っている人間という事でもあるのだなと考えられるようになりました。

話しをするのは割と得意です。
ミャンマーに来てからモノを書くという事も沢山するようになり、ミャンマーについて書いて公開した文章はゆうに100万文字を超えるまでになりました。
ついでに19歳の頃から3年間専門で勉強した歌は今でも成長し続けていると自負しています。

こんな私だから出来る日本語教育があったり、長く人材に関わる事にためらっていた私だからこそ開ける人材業の道というのもあるのだろうなと思い直しています。
今学校で会話のクラスを受け持ち教えていたりするのですが、生徒たちの成長が目まぐるしくて凄く驚いています。

もちろん生徒が頑張っている事や、もともとの生徒の能力が高かったという事もあるとは思いますが、それなりに長く日本語を使ってきた自分が今、ミャンマーにいて日本を目指す人たちと関わる事は大きな価値を産むことができるという確信に変わってきています。

現在、在日ミャンマー人の立場というのは急速に変化していっている時だと感じています。
2022年以降、急速に増えた在日ミャンマー人の数はたった数年で倍増している状態で今後さらにその増加の勢いは止まらないと考えられます。
今日本には同盟国であるアメリカ人を抜いてミャンマー人の方が多いのです。
更に2023年、日本語能力試験を受けたミャンマー人は20万人以上。
これは10億人以上の人口である中国に次ぐ2位です。

日本とミャンマーの間における経済活動、ビジネスにおいて間違いなく一番大きな規模になるであろう人材について、今後もミャンマーから出来る事を現場レベルでやっていきたいと思っています。

私はエンタメ畑の人間ですので、その心意気を忘れないように、今関わっている人材事業に関してもオンリーワンな存在でありたいなと考えています。
今後どんな風に私がこの業界で暴れるのか、注目いただけたらと思います。
それでは、また明日。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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