戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
第2次大戦末期には多くの学生も戦場に駆り出された(写真は昭和18年10月21日に明治神宮外苑競技場で行われた学徒出陣壮行会) Public Domain
<戦後日本の医療の進歩などから、今や「人生100年時代」は現実のものになりつつある>
「103歳、今も現役の自転車職人」(集英社オンライン、2025年11月30日)という記事を見かけた。人生100年、生涯現役を体現しているような人で、こういうニュースを見ると「まだまだ自分も頑張れる」と、勇気付けられる人も多いはずだ。
2025年現在で103歳ということは、1922(大正11)年のお生まれだ。終戦時に23歳。戦後の日本社会を土台から作ってきた世代と言っていい。だがこの世代は、社会人のスタート地点まで生き長らえるのは並大抵のことではなかった。子ども期が戦争と重なっていたためだ。
1922年の0歳人口は180万人で、1947年の25歳人口は118万人。単純に考えると、差し引き62万人が25歳になるまでに亡くなったことになる。同世代の3人に1人が、青年期までの間に命を落とした、ということだ。戦争の傷跡がまざまざと表れていて痛々しい。

<表1>は、男女で分けて当該世代の人口変化を追跡したものだ。招集されれば戦地に赴く男性では、25歳時点での生存率は55.9%しかない。半数弱が、この時までに亡くなっていた。太平洋戦争が勃発した1941年で19歳。片道の燃料しかない特攻機に乗せられた世代にもあたる。
もう一つ注目すべきは、乳幼児期の死亡率の高さだ。男女とも、5歳になるまでの間に14%ほどが亡くなっていた。衛生状態が悪かったためだ。とくに結核は脅威で、今でこそ特効薬があるものの当時は不治の病だった。わが子が5歳になったら「よくぞ生きてくれた」と、お祝いをする家庭があったというのも頷ける。
現在では、事故や稀な難病、自殺といった理由でもない限り、若くして命を落とすことはまずない。だが、ひとたび戦争が起きたら状況は直ちに逆戻りする。「生きているだけで儲けもの」という言い回しがある。国際情勢が不安定化しているが、「生」の尊さ、それを担保する平和の有難さを再認識したいものだ。
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