コラム

バイデンが一般教書演説で見せた、「超党派志向」と再選への野心

2023年02月09日(木)17時15分

凄みがあったのは、警官による暴力の問題です。今年に入って、メンフィスにおける「黒人中心の暴力犯罪対策チーム」が「交通取締りに従わなかった黒人青年タイラ・ニコルス氏を「なぶり殺し」にしたという事件が全米を揺るがせているのですが、その亡くなったニコルス氏の両親を議場に迎えたのです。その上で、「(肌の色が)ブラックとブラウンの家庭では、子供に対して警察に呼び止められたら撃たれないように教育しないといけない」と述べ、この議場にいる多くの人は「そんなことは無縁だと思っている」「痛みを分かっていない」と批判しつつ、具体的な警察改革、特に研修の強化と採用基準の厳格化を強く訴えたのでした。

ニコルス氏の両親はそのバイデンの迫力に感銘を受けたのか、涙を浮かべて拍手をし、そこで議場は異様な雰囲気に包まれました。BLM運動に反発し、警察改革にも反対していたはずの共和党のマッカーシー下院議長も拍手を始め、最後には立ち上がって拍手をしていたのでした。勿論、バイデンが超党派を主張するのは、下院の過半数を共和党に取られている中では仕方のないことです。ですが、今夜の「超党派志向」はそんな党利党略を超えるものがありました。

一番難しいと思われた「民主主義の危機」の部分でも、しっかり演出が仕掛けられていました。トランプ派の男に襲撃されて重傷を負っていたペロシ前下院議長の夫、ポール・ペロシ氏が議場に元気な姿を見せたのです。これはサプライズであり、議場は大きな拍手に包まれる中で、共和党議員団もこれに加わったのでした。

要所要所ではしっかり民主党側の主張を織り込み、「中絶問題で全国レベルの禁止法を可決して持ってきても私は絶対に拒否権を使う」と明言、また、環境問題、製薬業界の問題、銃規制などでは与野党の反応は真っ二つになっていました。結果的に、全体としては、圧倒的に内政問題にフォーカスした「内向き演説」でした。ロシアのウクライナ侵攻も、中国の謎の気球問題もほとんど一言ずつという感じでした。

そんな中で、ふと気がつくと「ドナルド・トランプの影」は議場から一掃されているように感じられたのです。確かにグリーン議員は「ヤジ将軍」でした。ですが、彼女のヤジは、その文脈も併せて、まるで「茶会」が戻ってきたようであり、そこにはQアノンとか、トランプの影は非常に薄くなっていました。更に、ケガの癒えたポール・ペロシ氏に全員が拍手した瞬間には、共和党はほとんど「トランプの影」から脱したように見えたのです。

一番困っているのは民主党?

80分の演説に全力投球した後も、どこにエネルギーが残っていたのか、バイデン大統領は議場に残る議員たちと、延々と歓談を続けていました。これをマッカーシー下院議長は、議長席から穏やかな表情でいつまでも見つめていたのです。勿論、共和党はこれから予算を人質にバイデン政権を揺さぶる計画です。ですが、少なくとも、トランプ時代の「異常な分断」とは全く違う時間が流れていたのでした。

では、この演説、今後の政局にはどんな影響があるのかというと、とりあえず2つのことが指摘できると思います。

党内右派と穏健派の内部抗争を抱えている共和党は、一見すると右派の「ヤジ将軍」が跋扈したりと、まだまだ揺れている印象です。ですが、仮にこの日の議場におけるバイデンの仕掛けによって見えてきた「脱トランプ」が本当なら、2024年の大統領選へ向けて、世代交代を進めることは可能なように見えます。

一方で、恐らく困っているのは民主党の方だと思います。今回の演説の出来が予想外に「良すぎた」ので、今すぐ「バイデン下し」をするのは難しくなりました。バイデンは、この勢いを維持して3月には再選出馬の表明をするかもしれません。そうなると、予備選をやって現職を引きずり下ろすのはかなり難しくなります。

バイデンが再選を目指すとして、仮に共和党が世代交代に成功して若い候補が出てくるようだと、2024年には82歳の直前に投票日を迎えるバイデンは苦しい戦いを強いられるに違いありません。つまり、演説の成功により民主党内の情勢は混迷が深まったと言えると思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエルがイラン攻撃と関係筋、イスファハン上空に

ワールド

ガザで子どもの遺体抱く女性、世界報道写真大賞 ロイ

ビジネス

アングル:日経平均1300円安、背景に3つの潮目変

ワールド

中東情勢深く懸念、エスカレーションにつながる行動強
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    止まらぬ金価格の史上最高値の裏側に「中国のドル離れ」外貨準備のうち、金が約4%を占める

  • 3

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の衝撃...米女優の過激衣装に「冗談でもあり得ない」と怒りの声

  • 4

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 5

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画っ…

  • 6

    中ロ「無限の協力関係」のウラで、中国の密かな侵略…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    休日に全く食事を取らない(取れない)人が過去25年…

  • 9

    「イスラエルに300発撃って戦果はほぼゼロ」をイラン…

  • 10

    日本の護衛艦「かが」空母化は「本来の役割を変える…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 3

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体は

  • 4

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...…

  • 5

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 8

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 9

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 10

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story