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アングル:戦禍で置き去りにされたレバノン障害者、支援拡充の好機にできるか

2024年12月09日(月)09時37分

 ベイルート南部の郊外に爆弾が降り注ぐなか、アリ・フサイニさんは心が引き裂かれるような難題に直面していた。写真は、被害を受けたビル。3日、レバノン南部のティールで撮影(2024年 ロイター/Thaier Al-Sudani)

Nazih Osseiran

[ベイルート 3日 トムソン・ロイター財団] - ベイルート南部の郊外に爆弾が降り注ぐなか、アリ・フサイニさんは心が引き裂かれるような難題に直面していた。今起きている事態を、耳の不自由な2人の娘にどう説明すればいいのか──。

「娘たちは、何が起こっているのか、なぜ逃げなければならないのかと聞いてきました」とフサイニさんは言う。

フサイニさんはトムソン・ロイター財団の取材に対し、「爆弾が落ちて、彼女たちを音から遠ざけようとしたのですが、耳が聞こえる兄弟が私に向かって走るのを見ると、娘たちは困惑していました」と語った。

爆弾が落ちる音が聞こえない少女たちは、一家が暮らすベイルート南部の郊外、ムレイジェ地区の建物が破壊されたのを見て、ようやく戦争の深刻さを悟った。

フサイニさんの娘たちは、出生時に髄膜炎を患ったことで聴覚をほぼ失ってしまった。以前は補聴器を使っていたが、2年前、タクシー運転手と肉体労働という2つの仕事を掛け持ちしても料金を払えなくなり、利用をやめてしまった。

9月末にイスラエルが空爆作戦を強化したため、7人家族のフサイニさん一家は、自宅を離れて避難した。初めのうちは路上で野宿していたが、後に避難所に入ることができた。

だが、悲惨な状況の中でも明るい話はある。

避難所の運営スタッフの1人が、フサイニさんの娘たちに、1年間使える聴覚障害用のインプラントを手配してくれたのだ。

だがフサイニさんには、その1年が経過した後どうすればいいか分からない。政府から何らかの支援を受けたことはないという。

国連開発計画(UNDP)によれば、レバノンには障害を抱えて生活しているとされる住民が90万人以上いるという。

UNDPは、障害者は「制度上の権利やリソース、サービス提供の不足に直面し、社会からの疎外や排除、家庭内外での暴力を経験している」としている。

昨年勃発したガザ戦争を契機とする最近の紛争により事態はさらに悪化していたが、イスラエルと親イラン武装組織ヒズボラとの停戦合意により一息ついた形だ。

フランスの非政府系支援組織「ハンディキャップ・インターナショナル」は10月の報告書において、「こうした動乱があると障害を抱える人々は深刻な影響を受ける。障害への配慮のない住居で暮らし、必須のサービスを受けられず、生計手段を失ってしまう。避難生活のあいだは放置されることも多い」と指摘している。

レバノン社会福祉省は11月、予算の中から障害者を対象に100ドル(約1万5000円)の一時支援金を給付すると発表した。

<障害者支援の動きも>

専門家によれば、政府の緊急対応体制はこれまで障害者を想定していなかったという。10月、人道支援専門家と障害者支援の活動家により、緊急対応チームが立ち上げられた。

社会的弱者の支援に力を注ぐイタリアのアブシ財団で公正性・包摂性の課題に取り組む専門家シェリル・モアワド氏は、トムソン・ロイター財団宛ての文書による声明の中で、「緊急事態の混乱の中で障害者が置き去りにされ、最も脆弱な状況にある彼らのニーズがなおざりにされているのは悲惨なことだ」と語る。

「それでも心痛む状況の中でも、明るい光はある。課題に対して地域ベースのイニシアチブが立ち上がり、非政府組織(NGO)や政府省庁と手を組んで支援ネットワークを生み出そうとしている」

緊急対応チームに参加するハヤ・エル・ラウィ氏は、障害者の中には、介護者が死亡や避難のためにいなくなってしまう例もある、と話す。また、インターネットに接続できなくなり、コミュニケーション手段を失う場合もある。

「すべてはアクセシビリティーの問題に帰結する」とラウィ氏は言う。「物理的な面だけでなく、コミュニケーションを可能にする情報面のアクセシビリティーの問題だ」

ラウィ氏は、紛争を機に障害がある女性が避難所でセクハラに直面しているという報告に触れ、ジェンダーと障害が交錯する問題も無視できないと指摘する。

緊急対応チームに参加する視覚障害の専門家であるイブラヒム・アブダラ氏は、障害者の中には、彼らの介護の責任を持つ保護者がいないとの理由で避難所の利用を拒否される例があると話す。

「身体に障害があっても、両親と離れて自立した生活を送れる人もいる。だが(避難所では)、彼らでさえ単独で来てはだめだと言われて追い返されてしまう」とアブダラ氏は言う。

<平和の兆しにも希望は湧かず>

ショルーク・チャマスさんの10才の娘と4才の息子はどちらも脳性麻痺を抱えているが、ベイルート郊外オウザイの自宅から避難を余儀なくされた。2人とも身体が不自由で、息子は話すこともできない。

だがチャマスさんは、自分は幸運だったと思っている。避難先となった受け入れコミュニティーが、子どもたちを温かく迎えてくれたからだ。

近親者の支えもある。9人家族のチャマス家は、山岳地方にあるハマナにある、避難所に改装された学校の1室で一緒に暮らしている。

「家族、つまり兄弟や母が一緒にいて助けてくれなかったら、自殺していたかもしれない」とチャマスさんは言う。

チャマスさんは「個人障害者カード」を持っており、子どもを対象とした政府や支援団体からの給付を受ける資格がある。だが、国からは何ももらったことがないとチャマスさんは言う。

政府が100ドルの一時給付金を実施したときは、障害者カードが未更新だったため受け取れなかった。

現在では更新を済ませており支援を受けたいと希望しているが、自宅に戻った現在でも不安な状態には変わりないと感じている。

私立の特別支援学校に通わせる余裕はないし、奨学金や国立学校の無料枠を利用できるのは、賄賂を贈ったり個人的なコネがあったりする人だけだとチャマスさんは語る。

アブダラ氏によれば、戦火の下で障害者が苦難を味わうのは、そもそも空爆の開始以前から彼らが置き去りにされていることの反映だという。

「障害を抱える人々を生活のあらゆる側面で包摂していくような持続可能な計画を用意しなければならない」とアブダラ氏は言葉を続ける。「障害者を(社会に)包摂していく方が、障害者向けの特別な制度を設けるよりもはるかに安上がりだ」

ラウィ氏は、紛争終結後の復興は、レバノン全土で障害者のアクセシビリティーを改善していくための好機になると考えている。

「少なくとも基本的なものが必要だ」とラウィ氏は言う。「スロープやガードレールのある広い歩道といった最低限の設備だ。復興にはアクセシビリティーを改善する大きなチャンスがある」

(翻訳:エァクレーレン)

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