コラム

「サイエンス少年ではなかった」 テニス漬けの学生時代、物理の道選んだのは「変な先生」の影響──野村泰紀の人生史

2025年12月29日(月)11時15分

 ところで、ちょっと言いづらいかもしれないのですが、アメリカの大学はトランプ政権になって環境が変わってきています。ハーバード大学ほどではないかもしれませんが、バークレーも色々とやりにくくなっている部分があるのではないですか。

野村 たとえば、グラント(科学研究の助成金)の審査に通っていたのでそれを当てにして既に人を雇っていたのですが、一切お金が来ないということがありました。取り消されたわけではなく、来るはずのものが来なくて、どうなるか分からないんです。

単に混乱しているだけなのか、最終的に「なし」と言われるかも分からない。(グラントの出どころの)エネルギー省の人たちも「聞かれても分からない」という感じでした。

 それは、研究室の運営者も大変だと思いますけれど、ポスドクは行けるはずの仕事先がなくなってしまったら大事(おおごと)ですよね。

野村 このときは何とか間に合ったのですが、ポスドクたちもバークレーが決まったからと他を断っているわけです。でも、こちらとしてもお金が来ないと雇いようがなくて、やれることは裁判対策ぐらいになってしまいます。

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ニューズウィーク日本版-YouTube

 留学生を何割以内にしなくてはならないというような話は、まだバークレーまでは来ていないのですか。

野村 そうですね。それに、アメリカでは大学生の入試は入試専門の人たちがいるから、教授は直接的には関わらないです。ポスドクについても、人種がどうのみたいな話はまだ来ていません。

ただ、逆に今までは、たとえば科学研究費を取る時もいわゆる「多様性」が求められて、そういう努力をしていますというのを書く必要がありました。

 女性や少数民族を積極的に採用しますとか。

野村 そうそう。これまでは、研究内容以外にそういう部分がないと、グラントにはまず通らなかったんです。たとえば「こういう活動をします」とか「こういう会議を開催します」とか相当真剣に言及しないと通りませんでした。

でも、(トランプ政権が発足した)今年1月以降は、逆にそれらがちょっとでも入っていると問答無用で落ちるっていう事態になりました。

 いきなり真逆になったのですか。表現は良くないですけれど、戦後の「墨塗り教科書」を彷彿とさせますね。

野村 そうなんです。だからエネルギー省などは「提出済みのグラントの応募書類を引っ込めて再提出してよい」という緊急措置を取ったりしました。

 助成金を取りたいなら多様性への配慮の部分を削って書き直せ、ということですね。

野村 ハーバード大は「退職させる人リスト」を作っていました。ハーバード大はやはり有名で目立つので、資金を止められたり、政権側は留学生を取る資格自体を取り消すとも言ったりしていますよね。

今のアメリカは「理想的ではない状態」

 こういった動きに対して、大学や研究者からのリアクションはあるのですか。たとえばバークレーで「我々が何か言わなくては」という議論はあるでしょうか。

野村 一大学の研究者が何かを言ってもほとんど何の意味もなさないのですが、アメリカ物理学会が音頭をとって、自分の地区の政治家に働きかけるよう奨励するというようなことはしています。

選挙権のある人でないと政治家は話を聞かないので、僕なんかは外国人だから何をやってもたぶんほとんど意味がないです。逆に言うと、僕らは何らかの理由を付けてビザを取り上げられたら、強制送還されて終わりです。しかも、ビザを取り上げる時は、理由を言わなくていいはずです。

 ああ、そうなんですね。ならば先生は今のところは静観というか......。

野村 まあ、言っちゃってるんですけれどね。

 日本で言っている分には大丈夫ではないですか。

野村 そうですね。それに超大物の発言なら目立つけれど、このぐらいの人物が日本語で言っているくらいなら大丈夫なのではと。

でも、それってやはりちょっとおかしいですよね。事実上、言論の自由がない状態になっているということです。でもそこは「お前は外国人じゃないか」と。研究するということでビザ──まあ僕は永住権ですけれど──を与えられているのだから、外国人ならば言えないのは当たり前だとかいう人もいます。

でも、言論の自由って基本的人権なわけですよ。「外国人には基本的人権がない」と言っているのと同じなわけです。

言葉が難しいですけれど、それは自由主義国として、ちょっと理想的ではない状態になっていますよね。

僕はアメリカに住んで26年目なのですが、これまでは自分が外国人だと強く意識したことはありませんでした。9.11の後ですらそうです。でも今は「自分は外国人なのだ」だと強く感じています。

たとえば、横断歩道ではないところで道を渡るのは、厳密に言えば法律に反しています。それで強制送還になるかもしれないというリスクを感じたことなんか、今までは一切ありませんでした。

 それが、最近のアメリカの大学に対する態度を見ていると危惧するところがある。外国人の自分に対する人権もちょっと疑問に感じるところがある、といったところでしょうか。

野村 まあ、基本的に(外国人に対する人権は)いらないと思われていますからね。だからと言ってどうしようもないのですが。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

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