<メールマガジンJMMで共に日本の政治経済と格闘した筆者が感じた、ブレない「経済合理性」への信念>

村上龍さんの訃報に接しました。2026年10月17日、ご自宅で亡くなられたとのことです。享年74歳でした。10月23日に村上龍事務所と幻冬舎の連名で公表され、葬儀はすでにご家族のみで営まれたと伝えられています。

多くの人がまず感じたのは、悲しみよりも「信じられない」という戸惑いだったのではないでしょうか。突然の訃報ということもありますが、少なくとも私たちの世代にとって、村上龍という名前は「老い」であるとか「終焉」とは結びつかないものでした。村上さんはいつも時代の先を走り、私たちが見たくない現実や、見ないふりをしている未来を、容赦なく突きつけてきたからです。

私自身にとっては、2001年にJMM(ジャパン・メール・メディア、村上さんの編集でネット黎明期に政治経済を扱ったメールマガジン)に参加させていただいて以来、ノンフィクションの書き手として育てていただいた大恩人です。団塊世代の中でも若い1952年生まれで、まだまだお元気だと思っていました。村上さんのいない世界など想像したこともなく、訃報の直後は、その事実をまったく受け止められずにいました。

ですが、時間が経つにつれて、受け止め方は少しずつ変わっていきました。

村上さんの印象は、昔から一貫していました。視点が確立していて、その視点はどこまでも俯瞰的で、長期的な見通しを伴っていました。俗にいう「ブレない」姿勢ですが、そのブレなさが徹底していて、揺るぎがない。そうそう、そうだったと思い返すうちに、自然に動揺も収まっていきました。

「日本の封建遺制が日本を衰退と滅亡に追いやる」

JMMの頃、村上さんがいつも口にされていたのは、

「日本が衰退することは確定しているので、その苦しみを最小限にすることと、世界に迷惑をかけないことが大切」

というシンプルな悲観論でした。これは、文学者としての村上さんの根底にも通じるものでした。それは、

「日本の権力には封建遺制としての思考停止が伴っており、打倒できないほど根を張っていて、日本を衰退と滅亡に追いやるに違いない」

「けれども、そうした思考停止に巻き込まれなければ、幸福感を伴う自己防衛はできる」

という認識と行動原理であったように思います。

では、それはニヒリズムや自己中心主義だったのかというと、決してそうではありません。村上さんはまずJMMを通じて「経済合理性」を信じる姿勢を明らかにして、ギリギリまで努力を重ねられました。今では誰もが「失われた30年」という言い方を口にしますが、バブル崩壊から10年たっても経済が立ち直らない状況を「失われた10年」として取り上げ、異議を唱えたのは村上さんに他なりません。経済を数値化して合理的に考え抜けば、どこかに希望が生まれる。当時の村上さんは、そういう姿勢だったように思います。

読者には救いの方向を示し、日本経済崩壊の痛みを和らげようと努めた
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