<防犯カメラも警備システムもなかった時代、人々はどのように身の安全を守っていたのか。世界各地の歴史的遺構や街並みには、外敵の侵入を難しくする工夫が残されている。現代の防犯にも通じるその知恵を紐解く>

人類は時代や地域、置かれた環境の違いに応じて、命と暮らしを守るための「犯行のコストとリスクを高める仕掛け」を無数に編み出してきた。それは、犯罪が起きる「場所」に着目して犯行のチャンスをなくす「犯罪機会論」の歴史でもある。

万里の長城やマチュピチュ、竹田城やジョードプルといった世界各地の遺跡にも、この防犯の知恵が息づいている。これらに共通するのは、自然の地形や建造物を巧みに利用し、外敵に対して「入りにくく見えやすい場所」を作り出すという、人類普遍の防犯デザインだ。

同じような工夫は、世界各地の歴史的遺構や街並みにも見て取れる。「犯罪機会論のルーツを探る旅」シリーズ第2回となる今回は、数千年前の集落から中世の城壁都市などを取り上げ、そこに秘められた防犯の知恵を紐解いていくことにしよう。

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トルコの南、地中海に浮かぶ島キプロスに、ヒロキティアと呼ばれる新石器時代の遺跡がある。紀元前7000年から同4000年にかけて形成された集落だ。犯罪機会論から見ると、丘の傾斜地に築かれているので、周囲が「見えやすく」、出入り口が2つしかない壁で囲まれているので「入りにくい」場所である。当時は、300人から600人ほどの住民が、石と日干しレンガで作られた家に住んでいたという(写真は復元された住居)。

住居は近接し、寄り添うように集まった複数の住居は、機能的に見れば1つの家だった。犯罪機会論的には、心理的にも「入りにくく見えやすい場所」である。生き残るためには、隣人同士が手をつないで助け合うしかなかった。まさに「1人は皆のために、皆は1人のために」である。だが、その後キプロスは、ギリシャ系とトルコ系の対立から南北に分断され、検問所を通らないと南北を行き来できなくなってしまった。

 ヒロキティア遺跡(集落)
 ヒロキティア遺跡(集落) 筆者撮影
ヒロキティア遺跡(住居内部)
ヒロキティア遺跡(住居内部) 筆者撮影
ジブリ映画で有名なあの街も
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