100人いれば、100通りの海外に渡る理由がある。恋愛がきっかけというのは、さほど珍しくない話かもしれない。
しかし、スペインで現在、ライター、通訳、コーディネーターとして活躍する小林由季さんの渡航は、決してありきたりなものではない。東京で会ったスペインの海軍士官候補生と大恋愛をし、「戦争に送られてしまう!」と結婚を決意。スペイン南部の街に向かい、思いもしない環境に身を置くことになった。
海軍コミュニティの中で幸せな結婚生活を送っていた小林さんは、その後、死をも覚悟するどん底を経験する――。
「家族が一番」に揺さぶられて――海軍青年との大恋愛
まだ、好景気の余波にあった1993年の春、東京・晴海港にスペインの海軍士官候補生を乗せた帆船エルカノ号が停泊した。
西欧美術史を学ぶ大学生だった小林由季さんは、制服姿の青年に出会う。金儲けでも大企業での出世でもなく、「家族が一番大切」と言い切る彼に小林さんは未知の素敵なものを感じ、深く感銘を受ける。
「絶対にまた会おう」と二人で約束を交わし合い、彼の乗った帆船は晴海港を去った。
当時は、スマホはおろかメールすら普及していない90年代。あるのは郵便と高額な国際電話だけだった。その後、彼は小林さんに年間100通以上の手紙を送り、小林さんも返事を書き続けた。
「彼は誠実で頭も良く、体力もあり、とても素敵だった」
1992年にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発すると、「先輩たちに続いて彼も送られたら大変。一刻も早く彼の元に行かなくては」と小林さんの気は急いた。
こうして、恋に燃えた二人は2年間の遠距離恋愛を経て1995年に結婚。小林さんは大学院を中退し、西欧美術の学芸員になるキャリアプランもバッサリと捨て、彼が待つ海軍基地があるスペイン南部のカディス県に渡った。
ところが、いざ行ってみると、そこで小林さんの唇を突いて出てきた言葉は「何これ!」だった。乾季には12時間断水となり、水はバケツの汲み置き頼り。ガスもあるのはプロパンガスのみだ。
その上、北アフリカからたった数十キロにあるカディス港には着の身着のままの移民船が頻繁に流れ着き、失業率は2桁と高い。全てがカルチャーショックだった。
スペイン語は習って行ったものの、アクセントが強くて聞き取れない。
「何が恐怖だったかというと、夫の留守中にくる電話。相手が何を言っているか分からないから、とにかく『マニオブラ(演習)』と『グアルディア(当直)』の2語を覚えてひたすら連呼した」
しかし、数年後にはプロの通訳をこなす高い言語力を身につけた小林さん。それを可能にしたのが、温かく受け入れてくれた同世代の軍人家族たちとの交流だったという。

カディスの風景:大恋愛の末に結婚し思い切って渡って行った先は小林さんの想定外の環境だった(写真提供:小林由季)
質素な港町で感じた「不思議」と海軍妻のお茶会
基地のあるサンフェルナンドの街は、当時はメインストリートが1本あるだけ。映画館もショッピングモールも何もない上、金曜の午後から週末にかけては全てが休業する。また、住人の大半は軍関係者で顔見知りという小さな村のような場所だった。
この「守られた海軍コミュニティ」は、のちに生まれる子どもたちの養育環境としては理想的で助けられたが、昨日までバブル直後の東京を闊歩していた小林さんには全くの想定外だった。
その当時、小林さんは「何もなく不便な街なのに、なんで皆はこんなに充足して楽しそうなの?」と不思議で仕方なかった。この社会に溶け込んでその理由を早く知りたいと思ったという。
その後、長くこの国で暮らす中で、小林さんはその「秘密」を見つけていくことになる。