「壁の外」にいる我々は戦争のリアルを見ようとせず、「数」として捉えがちだ。しかし、戦場となっている場所には、どの死者にも名前や顔がある。

そのことを証明するため、戦場にいる自分たちの声と主張を、悲しみと不屈の希望を10年前から発信しているガザの若者たちがいる。

彼らが克明につづった、戦争のリアルな「内側」を集めたアンソロジーの邦訳『〈ガザ〉を生きる パレスチナの若者たち10年の手記』(原書房)に収録された手記から抜粋。この記事は、2021年の経験を記したもの。

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私の生家は離婚によって分断されていた。父は、娘なんていらない、息子がいれば十分と考えるタイプの人だった。そんな現実から逃れる唯一の方法は夢を見ることだった。私は、結婚とは何かを知るずっと前から、自分の家庭を持つことを夢見ていた。子どものつくり方を知る前から、子どもを持って「正しい」家庭を築くことを夢見ていた。そして子どもの育て方を知る前から、母になることを夢見ていた。

私は自分を信じることにした。私なら、きっと自分が得られなかったものを別な誰かに与えてやれる。自分が手に入れられなかったものを、自分の子には与えてやれる。そういう想像をすることには、セラピーのような効果があった。

そして数年前、私のことを私と同じくらいに信じてくれる男性に出会った。そして結婚し、ようやく父から独立できた(一般に、ガザの女性は結婚するまで父親か男性親族の「監視下」に置かれている)。

しかし、夢のその先(わが子を持つこと)を実現するのは想像以上に難しかった。あれこれ試して、ようやく妊娠したと思ったら2回つづけて流産した。調べてみたら甲状腺ホルモンの値が高すぎたので薬をもらい、3か月後にまた妊娠した。ただし今度は流産しないように、最初の4か月はベッドで安静にしていなければならなかった。この赤ちゃんも失ってしまったらどうしようと、心配で仕方がなかった! 毎日がとても長く感じられた。

ファミリーネームを継ぐ資格がないと言った父
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