富が一部に集中する実質的な「貴族制」
第3に、ピューリタンがトクヴィルの言う「啓発された自己利益」を備え、あるいは育んだことだ。これは自らの利益を自然に追求しつつ、十分な自制を働かせることで、自分の行動がより広い社会的利益につながるようにする姿勢である。
第4に、アメリカの法と権力分立、特に強力な地方自治は、権力を分散させ、個人の自由を守り、専制から市民を守るという意図の下に設計されていた。
だがトクヴィルは、アメリカがどのように変化するかも見抜いていた。アメリカが持てる富のみで成功を定義していることを理解し、富の「貴族制」が平等と民主主義の土台を掘り崩すことを予見していた。今日、アメリカでは最も裕福な1%が国の富の30%を保有し、下位50%の保有分は2.5%にすぎない。
しかし今では多くのアメリカ人が、「啓発された自己利益」も地方自治の強みも、さらには民主主義そのものも非効率で機能不全に陥り、既に過去のものになったと考えている。
トクヴィルが今日のアメリカを見れば、個人主義は彼が予期したように利己主義へと堕し、人々は自分にも社会にも目的が欠けていると感じ、共同体は互いに争う集団へと変わったとみるだろう。
ここ数十年、共和党は「単一行政理論」なるものを掲げてきた。行政権の全てをホワイトハウスに集中させようとする考え方である。
トクヴィルが恐れたように、富が一部に集中することで実質的な「貴族制」となり、「啓発された自己利益」が平等主義的で道徳的に空虚な物質主義に変わるなか、エリート層の一部は政府を専制へと向かわせている。
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