私の海南の夢

一方、遅チー・フーリン福林のような改革派知識人は曖昧な表現をしていない。遅は80年代末に中央政府から海南島へ派遣された最初期の幹部の1人で、同地に「特別関税区」を設ける当初の試みに深く関わった。

「海南経済特区の設立は、国家の平和的統一という偉業を完成させ、台湾の早期回帰を促進する上で深い意義を持つ」と、遅は18年の回想録『私の海南の夢』に書いている。

中国(海南)改革発展研究院と海南自由貿易港研究院の院長を務める遅は、「非常に立ち遅れた」海南島の発展に成功すれば、台湾との統一を促す上で有力なモデルになると主張してきた。海南島と台湾は地理的条件や文化的背景が似ているため、その効果はさらに大きいという。

巨大な自由貿易港という現在の実験を先取りするように、遅は海南島が対外開放を進めて台湾との交流や相互理解、協力を強化すれば、両島の経済的相互依存をさらに深められると論じていた。

「そうなれば、経済的利益の緊密な結び付きと一致を通じて、最終的には国家統一への共通認識を形成し、経済関係によって政治的前進を促すという目標を実現できるだろう」と、遅は書いた。

台湾世論を見る限り、この戦略が成功する可能性は高くないと思える。だが台湾の企業家たちは、海南島への投資に関心を示してきた。90年代には、インフラの未整備や厳しい事業環境のために投資に値しないと判断したが、ナイトクラブやカラオケ店など歓楽街向けの事業で成功した例もあった。

中国政府の長年の賭け
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