大胆な実験には終止符が
中国政府は87年、中国社会科学院の経済学者が率いるチームに、海南島を1つの省として独立させ(当時は広東省の一部だった)、中国最大の経済特区に指定するための計画策定を指示した。この2つの計画は88年4月に実現する。
中国社会科学院の経済学者たちの報告書は、海南島が台湾に追い付くことは可能かという問いを検討し、それは可能だと結論付けた。
ただし、そのためには、「社会主義に導かれた市場経済」の考え方に基づいて自由経済地区を設置するべきだとのことだった。具体的には、国家の役割を縮小し、香港、東南アジア、そして台湾との協力を重視すべきだと、報告書は主張していた。
中国政府はこの提言を受けて、新設したばかりの海南省の指導部に幅広い裁量を与えた。
同じ頃、海南島と外の世界の間の税関を撤廃し、逆に大陸中国との間に税関を設けるという計画も浮上していた。もしこの計画が実現していれば、40年近く前に海南島が自由貿易港になっていたことになる。
だが、これらの構想が思惑どおり実現することはなかった。
88〜89年に大規模な経済改革が行われ、海南島では党・国家機構の大胆な縮小も進められた。しかし89年6月の天安門事件に伴う政治的混乱によって、海南省の省長と党委書記が失脚。大胆な実験には終止符が打たれた。
包括的な経済改革や、自由貿易のための「特殊関税区」を設立する試みも、その後に投資環境が悪化したため頓挫した。
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