海南島と台湾の面積はほとんど変わらない

共産党政権は1949年の中華人民共和国建国以来、2つの島を互いに切り離せないものと見なしてきた。

海南島は、国民党と共産党の国共内戦で最後の大規模な戦闘が行われた場所だった。共産党は50年に海南島を制圧すると、島を大陸から完全に切り離し、南部の軍事的な「盾」の役割を担わせた。

しかし、リチャード・ニクソン米大統領が72年に訪中したことをきっかけに国際政治の構図が大きく変わると、中国指導部は海南島の役割を見直した。経済的・地政学的武器と位置付けるようになったのだ。

趙紫陽や胡耀邦をはじめとする改革派のリーダーたちは83年の時点で、海南島の発展が台湾より大幅に遅れていることを認めつつも、両島の類似性に着目していた。そして、海南島を台湾のような経済発展の軌道に載せられれば、台湾の再統一を促進する上で極めて有効なのではないかと夢想するようになった。

84年には最高指導者の鄧小平も、海南島で開放路線をさらに推進すれば、20年間で台湾に追い付けるという考えを示唆している。

さらに鄧は87年6月、ユーゴスラビア政府関係者に対し、新しい計画を明らかにした。「これまでより大規模な経済特区の設置を目指している。海南経済特区だ」と、鄧は語った。「海南島と台湾の面積はほとんど変わらない。海南島の開発が成功すれば、本当に素晴らしいことだ」

大胆な実験には終止符が
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