<主人公がいきなり観客に話しかけたり、心の声が聞こえてきたり……観客が物語に没入しかけると、「これは虚構だ」と突き放される>

映画には見えない壁がある。舞台でいう「第四の壁」だ。観客は壁のこちら側から向こう側をのぞき見る。映画の登場人物たちは見られていることに気付いていない。その約束を前提に映画は成立している。

でも『アニー・ホール』はその約束を壊す。映画という表現形式そのものを解体しようとしている。

シーンの途中で、主人公アルビー(ウディ・アレン)は、いきなりカメラを正面から見つめて観客に話しかける。つまり「第四の壁」を超えてくる。それも何度も。

解体の試みは「話しかける」だけではない。アルビーとアニー(ダイアン・キートン)が映画館で順番を待つシーン。後ろの大学教授が連れの女に、批評家のマーシャル・マクルーハンについて訳知り顔でうんちくを披露し続ける。カメラ(つまり観客)に向かって不満を漏らしていたアルビーは、我慢できなくなってマクルーハン本人を画面の外から連れてきて、大学教授を論破させる。

あるいは出演者の本音(心の声)がアフレコで再現されたり、過去の記憶のシーンに現在のアルビー本人が入り込んだり、出演者たちが別のシーンをワイプで仕切られた画面から見つめたりもする。物語に没入しかけると、「これは虚構だ」と観客は突き放される。

ダイアン・キートンへの未練