悲嘆は最終的に受容の段階にたどり着く必要
「絆を維持するためにサブスク料金を払わなければならないとしたら、その金銭取引の倫理性には疑問を感じる」と、オコナーは言う。
これに対しハリソンは「悲嘆の収益化は今に始まった話ではない。葬儀会社に骨壺代として500ドル払ったり、グリーフケアのカウンセラーに1時間150ドル払ったりするのと同じことだ」と言う。
一方でハリソンは、規制の必要性については同意する。ただし「対象を知らずして規制することはできない」と、彼は言う。「皆が馬や馬車に乗っている時代に自動車を規制しようとするようなものだ。速度規制の必要性は、その速さで走れるものが出てくるまで分からない」
そうはいってもこの技術は、人間の根本的な何かを変えようとしており、規制の機は熟しつつある。悲嘆は最終的に受容の段階にたどり着く必要があり、故人とのやりとりの頻度は減っていくはずだ。だがこうしたツールは、その逆を行くように作られている。
確かに専門家たちは以前から、健全な悲嘆のプロセスは死者との絆を断つことではないと説いてきた。90 年代に出てきた「継続する絆」という考え方では、人々は心の中から故人の存在を消したりはしない。記憶や共有する価値観や心の中の対話を通し、故人と一緒に前に進んでいく。
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