<近代化の掛け声が人々を追い立てるなか、田山花袋ら自然主義の作家たちは、厭世、煩悶、性欲、虚無を描いた…。誰も知らなかった文学史を記した話題作『「蒲団」の時代:自然主義とは何だったのか 』(木村洋・著、新潮社)の第6章「破壊の後で」より一部抜粋。>
女が女の性欲を描く
自然主義という資産が1910年代に受け継がれる様子をうかがうために、平塚らいてう(1886年生まれ)などの若い婦人たちの活動もふまえなければならない。
らいてうは仲間の若い婦人たちを集めて、1911年9月に文芸誌『青鞜』を出した。その創刊号に載ったらいてうの有名な評論「元始女性は太陽であつた。」には、自然主義への批判を綴ったくだりがある。
「日本の自然主義者と云はれる人達の眼は現実其儘の理想を見る迄に未だ徹してゐない」
この若く意欲的な評論家にとって、自然主義は乗り越えるべきものと映っていたようだ。ではこの言葉をもって『青鞜』を自然主義の反対者と見なせるかというと、話はそう簡単ではない。
『青鞜』が自然主義からの強い影響のもとにあることを、さまざまな角度から言える。『青鞜』を覆う告白の口調は、そのわかりやすい例である。らいてうをはじめとする婦人たちは、自分の体験を倦むことなく打ち明けた。
交際相手の男との共同生活の始まり(らいてう)、夫婦生活の荒廃と破綻(岩野清子)、夫と別の男との三角関係(伊藤野枝)などがその内容である。『青鞜』の婦人たちにとって告白は、血の通った新思想や新生活の宣伝方法であり、不自由な日本社会のなかに仲間を生み出すための手立てだった。
『青鞜』と自然主義のつながりを、性欲という話題からも確かめたい。すでに見たように、1907年頃から田山花袋「蒲団」をはじめとする小説によって、性欲という主題が文壇で一気に花開いた。
この頃に男だけではなく、女たちも性欲の持ち主として数々の小説を彩るようになる。三島霜川「虚無」(『中央公論』1907年12月)の女主人公は「性欲の空影を追」うし、森田草平『煤煙』(『東京朝日新聞』1909年1月1日~5月16日)の女主人公の朋子(平塚明子[はるこ]つまりらいてうのこと)も、「汚い肉慾」の持ち主として出てくる。
同じような例として、真山青果「手斧」(『新潮』1909年8月)や岩野泡鳴「病客」(『趣味』1910年6月)などもある。だがあくまで性欲を抱くこの女たちは、男性作家たちによって想像され、代弁された者たちだった。