『青鞜』との目立った違いがここにある。『青鞜』で女たちは女自身の手で、すすんで女の性欲を描き出していった。尾島菊子の短編「夜汽車」(『青鞜』1911年12月)はこの文脈で目を引く。夜行列車で見知らぬ男が隣の女の体に凭れかかり、ひそかにその手を握る出来事を、この小説は描く。
乗り物という密室空間のなかでの男の性欲の昂ぶりという主題は、田山花袋「少女病」(『太陽』1907年5月)や佐藤紅緑「鴨」(『中央公論』1907年6月)のような自然主義小説を真似たものだろう。
だが「夜汽車」で女は一方的に男の性欲の客体になるだけではなく、みずからもその身体接触を一時的ながら喜ぶ性欲の持ち主として立ちあがる(「引きつけられるやうな或物に心をそゝられる」)。
自然主義小説の作法を吸収しながら、その組み替えをとおして、女性を一個の積極的な欲望の主体として作りなおす意欲をここに見いだせる。ほかにも、男の体にたいして女が興奮するさまを描く田村俊子「その日」(『青鞜』1912年1月)がある。
姦通する女の肉体的な喜びを綴った荒木郁子「手紙」(『青鞜』1912年4月)は、表現の露骨さのために、初めて『青鞜』が発売禁止処分を受ける原因になった。性欲という主題と告白の掛け合わせを試みた生田花世の感想録「苦痛にむかひて」(『青鞜』1915年5月)も、この作例に連なるものだった。
「あの男に身をまかしたのは私を襲つてゐた性慾のためであつた。(略)そして私は驚きの眼を見張らずにはゐられなかつた。私の生活を支配する猛獣のやうな生慾を〔自分の書いた文のなかに〕見出したからである。この猛獣のやうな生慾の力が私の純潔を奪つたのである」
告白体、「性慾」「生慾」という言葉、野獣じみた主体性の組み合わせは、田山花袋「蒲団」を思い出させずにはいない。花袋ばりの告白への勇気が、そのはるか年下(1888年生まれ)の青鞜社社員に受け継がれていることがわかる。
女たちのなかに宿る性欲や男との身体接触の喜びが、男性作家の代弁を経ずに、女性の手になる散文でいっせいに文字化され出したこの光景は、日本文学史において未曾有のことだろう。この新奇な文学的実験を促したのが自然主義なのである。
木村 洋(きむら・ひろし)
1981年、兵庫県生まれ。高校時代に丸谷才一の本に出会い、文学研究に興味を抱く。2010年、神戸大学大学院人文学研究科博士後期課程修了。 熊本県立大学文学部准教授などを経て、上智大学文学部教授。博士(文学)。専門は日本近代文学。著書に『文学熱の時代――慷慨から煩悶へ』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『変革する文体――もう一つの明治文学史』(名古屋大学出版会)。
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