最新記事

ニュージーランド

NZアーダーン首相、分断の時代のあまりに見事な引き際

Big Shoes to Fill

2023年1月23日(月)16時00分
リチャード・ショー(ニュージーランド・マッセー大学政治学教授)
ジャシンダ・アーダーン

アーダーンは記者会見で「余力がない」と語り、辞任すると発表した KERRY MARSHALL/GETTY IMAGES

<突然の退任表明。与野党がこれで動き出すが、アーダーン自身は現代政治の「有毒性」と一線を画した判断により、さらなる政治的資本を獲得するだろう>

誰も予想していなかったニュースだった。

ホリデーシーズンが終わり、ようやく政治が再始動する。そう一安心していたニュージーランド人は、近く内閣改造が行われ、充実した新政策が発表されるだろうと期待していた。それに、運がよければ、年内に実施される総選挙の日程も決まるのではないか──。

総選挙の日程は発表された(今年10月14日に行われる予定だ)。だが同時に、思いがけない知らせがあった。

近年の歴代ニュージーランド首相のうち、最も支持され、最も影響力があった人物が2月7日までに辞任する、と。

ジャシンダ・アーダーン首相が、辞任を決断した理由を推測するのは難しくない。

1月19日、辞意を表明した記者会見で、本人がこう語っている。

「国家を率いるのは、考えられるなかで最も特権的な職務であり、より困難な仕事の1つでもある。タンクが満杯で、予想外の課題に備えた余力も少しなければできないし、すべきではない」

2017年に首相に就任したアーダーンにとって「課題」は多すぎるほどだった。2019年には、ニュージーランド南島の都市クライストチャーチでテロ事件が発生し、北島沖にあるファカアリ(ホワイト島)の火山が噴火。その後、新型コロナウイルスのパンデミックに見舞われ、近頃は生活費の危機が起きている。

加えて、住宅費高騰や子供の貧困、格差、気候危機など、長らく付きまとう政策問題に取り組む必要があったのは言うまでもない。もはやタンクが空っぽなのは明らかだ。

それだけではない。女性政治家の例に漏れず、アーダーンは反ワクチン派やミソジニスト(女性蔑視者)、その他さまざまな「アンチ」の攻撃にさらされ続けてきた。

ニュージーランドの社会的論議の劣化は深刻で、不安なほどだ。昨年2月に首都ウェリントンで、反コロナ規制デモの参加者が議会の敷地を一部占拠する事件が起きて以来、状況は特にひどい。

尊厳に満ちた危機対応

アーダーンはこの2年間、この手の有害な攻撃の矢面に立たされてきた。それが本人や家族、身近な人々の重荷になり、首相辞任という決断の一因になっている。

それでもアーダーン政権はいずれ、何にも増して、危機対応の在り方によって記憶されることになるだろう。

近年のみならず、過去のニュージーランド首相の大半よりも数多く直面した危機に対して、アーダーンは冷静で明確で、尊厳に満ちた態度で臨んだ。

もちろん、反論はあって当然だ。だが攻撃的な表現を拒むアーダーン(昨年12月、野党指導者に対する「傲慢なくそ男」という発言がマイクに拾われた一件は例外だ)は、暴言が政治の「常態」になった世界で際立っていた。

単なるパフォーマンスだと、批判派は切り捨てるかもしれない。だが政治の要点は、ナラティブ(物語)を支配することにある。アーダーンと彼女の仲間は長い間、その点で優れた手腕を発揮していた。

とはいえ、未達成なことも多い。変革を約束して首相に就任したものの、格差や貧困は今も生々しく残る。

アーダーン率いる労働党政権は公営住宅の慢性的不足を緩和しておらず、公衆衛生部門の労働力や教育、建設分野が直面する課題は今後の政権にとって喜ばしいものではない。

アーダーンの突然の辞意表明で、関心の的になったのが労働党党首の後任選びだ。

議員による党首選で3分の2の支持を得た候補がいない場合、一般党員などから成る選挙人団によって選出すると、同党は定めている。そうなれば時間がかかり、党内分裂や無用の混乱を招きかねない。

さらに、後継者と目されていたグラント・ロバートソン副首相兼財務相が党首選出馬を見送るという驚きの展開もあった。新党首は大きな注目を浴びるが、カリスマ性のあるアーダーンの退場であいた穴は労働党にとってかなり大きい(編集部注:その後、クリス・ヒプキンス教育相だけが立候補し、内定した)。

首相の辞意表明は当然ながら国内で話題を独占し、そのせいで同時期にあった重要行事が忘れられた形になった。

野党・国民党が、今年に入って初めて開いた党員集会だ。

期間中に飛び込んできたアーダーン辞任の知らせに、国民党内では歓声が上がったかもしれない。このところ労働党の支持率は下降傾向で、中道右派の国民党やACT党が上昇しているが、国民党のクリストファー・ラクソン党首の人気は今もアーダーンよりずっと低い。

総選挙でアーダーンと対決する必要がなくなったと、ラクソンはひそかに喜んでいるのではないか。

従来は国民党支持者ながら、20年の総選挙で労働党に票を投じた有権者の一部を取り戻せるのではないかとも判断しているだろう。労働党への支持の一部は、アーダーン個人に対する支持だからだ。

それでも、国民党上層部は警戒を怠らないよう説くはずだ。新型コロナ対策などによって賛否両論が激化する一方だったアーダーンがこのタイミングで辞任することで、労働党は未来志向の新体制を構築する時間を手にしている。

次の活躍の場はどこに

もちろん、アーダーンが中心にいない新たなナラティブを、国民が受け入れるかどうかはまだ分からない。だがアーダーンが自党に、十分なチャンスを与えたことは確かだ。

今回の辞任劇に、より幅広い教訓はあるのか。

悲しいことに、その筆頭は分断と攻撃の常態化がはびこる現代に、選挙で選ばれた代表者が支払う代償をめぐる教訓だ。

世界各地で、とりわけ女性の政治家は有害さに直撃されている。アーダーンの辞任を、女性の声を封じ込める動きと結び付ける向きは多いだろう。

明るい面に目を向ければ、政治的リーダーシップの行使について学べることもありそうだ。アーダーンは引き際を自ら選択した。内輪もめや選挙での敗北によって地位を失ったわけではない。

その結果、評判に磨きがかかるどころか、アーダーンはさらなる政治的資本を獲得するだろう。手にした「通貨」を国際舞台で流通させる道を選択するのか。

現時点では不明だが、いずれはそうするのではないかと考えられる。

だが今のところ、アーダーンはわが子を徒歩で学校まで送り、長年のパートナーとようやく結婚する日を楽しみに待っている。首相として、困難続きの激動の年月を過ごした後では、それだけで十分なのかもしれない。

The Conversation

Richard Shaw, Professor of Politics, Massey University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

ニューズウィーク日本版 AI兵士の新しい戦争
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2026年1月13号(1月6日発売)は「AI兵士の新しい戦争」特集。ヒューマノイド・ロボット「ファントムMK1」がアメリカの戦場と戦争をこう変える

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

北朝鮮、4日に極超音速ミサイル発射実験 米をけん制

ビジネス

午前の日経平均は大幅反発、海外・個人マネー流入の思

ビジネス

見通し実現なら経済・物価の改善に応じ引き続き利上げ

ビジネス

米債券市場、26年はリターン縮小か 利下げペース鈍
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    眠る筋力を覚醒させる技術「ブレーシング」とは?...強さを解放する鍵は「緊張」にあった
  • 2
    アメリカ、中国に台湾圧力停止を求める
  • 3
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙」は抑止かそれとも無能?
  • 4
    2026年の節目に問う 「めぐみの母がうらやましい」── …
  • 5
    野菜売り場は「必ず入り口付近」のスーパーマーケッ…
  • 6
    ベネズエラ攻撃、独裁者拘束、同国を「運営」表明...…
  • 7
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 8
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 9
    「対テロ」を掲げて「政権転覆」へ?――トランプ介入…
  • 10
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 1
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめる「腸を守る」3つの習慣とは?
  • 2
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチン、その先は袋小路か
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙…
  • 5
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 6
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 7
    眠る筋力を覚醒させる技術「ブレーシング」とは?...…
  • 8
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 9
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 10
    「サイエンス少年ではなかった」 テニス漬けの学生…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 10
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中