「集団的精神をもった個人は、その知能や個性を失い、無意識的性質に支配される」。そして、そうした「群衆」は容易に「感染」します。「自分はそうならない!」と思っていても避けることは難しいのです。

一旦盛り上がった群衆は、強いうねりを生み出して、さらに多くの人を巻き込んでいきます。「自分は巻き込まれない保証」などどこにもないでしょう。

インターネットなどない時代ですらそうだったのですから、さらに情報の波にさらされやすい現代ではなおさらです。このメカニズムについて、本書で理解を深めておくことは、決して無駄になりません。

「善良な人」が手を染めるとき

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『普通の人びと』

 著者:クリストファー・R・ブラウニング

 翻訳:谷喬夫

 出版社:筑摩書房

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巻き込まれ、流されていった先の悲劇、それが第二次世界大戦でした。

戦争というと、政治家と軍人によるドンパチだと思いがちですが、実は一般社会に生きる「普通の人びと」が、積極的にかかわってきました。

『増補 普通の人びと』は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツで、「普通の人びと」がユダヤ人の大量虐殺を担う主体になっていった様が描かれています。

「自分が加担しなくても他の誰かが殺してしまう」「母親がいない状態では子どもは一人で生きていけない」と自分の"罪"を正当化しながら、次第に虐殺という「解決」手段に慣れ、効率的な執行者となっていきました。その「転落」の道筋は、本書を読んでいてとても痛ましく感じるところです。

無実の人を手にかける。それは、現代的な感覚からすると極端な発想のように感じるかもしれません。しかし、実際に命を奪うようなことはなくても、全体的な社会の「空気」のなかで、特定のだれかを「敵対視」するような場面は、いろんなところで見られます。大人の社会でも苛烈な差別はなくなっていませんし、SNSで暴力的な言葉を投げつける人も減りません。

そうした状況に対して、抗いようもなく、手を差し伸べることもできないことはよくあります。落とし穴は、世の中のあらゆるところに空いていて、「善良なあなた」を待ち構えているのです。

これだけ"いじめ"の悲劇が訴えられていながら、いまだにその暴力がなくならない日本社会。あなたは、絶対にそういう感覚にならないと自信をもって言えますか?

「自分で考えること」の難しさ
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