──これをきっかけに日本はエネルギーの多様化を図り、省エネ国家に変わることもできたとも本書では指摘している。
73年の石油危機からは学んだことも多かった。例えば備蓄。石油危機の時、日本は60日分しか備蓄がなかった。これではいけないというのでその後、備蓄増強に励んだ。
その結果、今回のイラン戦争前、日本の備蓄量は254日分、世界で最も備蓄のある国となっていた。イラン戦争後、このうち50日分ぐらいを放出し、価格を抑え、なんとかマネージしている。
石油危機後は、原子力発電をはじめエネルギー源の多角化を進めた。原子力発電は一時(電力シェアの)25%までいった。エネルギー自給率も20%以上まで高まった。それが福島第一の原発事故後、大きく後退してしまった。
──一方で、日本は戦前も戦後も資源に乏しい国だ。その条件は変わっていない。何ができるのか。
基本はエネルギー自給率を上げることだが、これがなかなか上がらない。原子力発電所は現在、建設中を含め36基あるが、実際、再稼働しているのは15基にとどまる。21基を動かしてない。
1基の発電出力を100万キロワットとすると、その分だけエネルギーの余裕があることになるが、実際に動かすのは容易ではない。今年4月に、東京電力の柏崎刈羽6号機が再稼働したが、「フクシマの悲劇」の記憶と国民の原発に対する不安感がなお根強い。
一方で、特に若い人たちの間では原発を動かすことをエネルギー安全保障上の選択肢と捉える見方が広がりつつあるように見える。
新潟日報の昨年12月の調査によると、原発から半径30キロ圏内の地方自治体の議員のうち、柏崎刈羽の原発再稼働に対して「賛成」と答えた議員が「反対」の議員を上回った。変化が生まれていると感じる。厳しい国際政治とエネルギー危機の中、国民も日本の置かれた状況の険しさを感じつつあるのだと思う。