「美しい国」に来て35年...日本にとけ込む努力を続けたイラン人が語る「日本で暮らす外国人」の本音
日本のドラマや戦後の復興の様子と平和を求める姿勢に感銘を受け、来日を決意。10代で従軍も経験したレファヒーさんは語る。「戦争が終わった時、私たちが一番欲しかったのは平和だったんです」
来日した1990年の日本はバブル景気に沸いていた。厳しい国情のイランとはまるで違い、日本は「パラダイスのような」場所に映ったという。
来日当初、日本語はからっきしだったが、電車や街中で目にする知らない日本語をひたすらメモし、必死に覚えた。カスピ海沿岸のラシュト出身で、白いお米や魚を食べる文化的背景もあり、日本の食事にも早く馴染むことができた。納豆は味噌汁に入れて食べるなど工夫し、慣れてくると生卵と一緒にかき込むなどアレンジした。美味しそうに食べていると居合わせた見知らぬ関西弁の男性に「よう食えるなあ」と感心された。今では週3回は食べるほど好きになった。マグロは特にお気に入りで、「『マグロ男』って呼ばれています」と笑う。
「日本は自分を受け入れてくれた。差別されたと感じた経験はなかった」と言い切るレファヒーさん。日本に、地域社会に根を張って35年ほどの時間を過ごしてきた。日本がレファヒーさんを受け入れたというより、レファヒーさんが日本に馴染み、とけ込んだのかもしれない。





