コラム

「私はいま死となり、世界の破壊者となった...」映画『オッペンハイマー』が描く「原爆の父」の苦悩

2023年08月23日(水)13時00分
オッペンハイマーを演じる俳優キリアン・マーフィー

映画では俳優キリアン・マーフィーがオッペンハイマーを演じた PHOTOSHOT/AFLO

<「原爆の開発に成功すれば多くの日本人が命を失う。だが失敗すれば他国が原爆を手に入れる」──映画『オッペンハイマー』を日本人こそ見るべき理由>

社会も個人と同様、心に深い傷を残す出来事を経験すると、それに関連する物事に対して嫌悪の感情を抱くようになる。そうした心理は世代を超えて続く場合もある。実際、ユダヤ人の中には、ナチスによるユダヤ人大量虐殺から80年たった今でも、ドイツを訪れたり、ドイツ製品を購入したりすることを避けている人たちがいる。

日本の社会も、少なくとも1960年代以降は自分たちを広島と長崎への原爆投下による惨禍の犠牲者と位置付けてきた。心の傷は今も生々しく、核兵器について議論するだけでも気分を害する人たちがいる。

この夏、「原爆の父」と呼ばれる物理学者のロバート・オッペンハイマーに光を当てた映画『オッペンハイマー』がアメリカで公開された。映画館では映画が終わった後、私を含む多くの観客が黙り込み、しばらく身動きできなかった。私たちの大切な理想が損なわれて、取り返しのつかない悲劇が起きた現実を突き付けられたことにより、心がかき乱されて、生の激しい感情を味わい、重苦しい気持ちになっていたのだ。

日本では、『オッペンハイマー』が公開されないかもしれない。もしそうだとすれば、日本の人々にとって大きな損失だ。

この映画に関しては、同時に公開された映画『バービー』と『オッペンハイマー』を無神経に結び付けたソーシャルメディア上のミーム(ネタ画像)が物議を醸した。日本の世論や有識者がこの問題に注目したのは、当然のことだ。「命を奪われた何十万人もの人々を無視」し、「白人男性の業績を礼賛し続けてきた歴史を問い直そうという姿勢がほとんど見られない」という批判もある。

【画像】キノコ雲のミームも...ネットを賑わす『バービー』と『オッペンハイマー』コラージュの数々

しかし、『オッペンハイマー』は一貫して、膨大な数の人命を奪う兵器を開発するという使命がいかに、その計画に関わった全ての人々を苦しめるかを描いている。

道徳的な良心を理由に、原爆開発プロジェクトへの参加を拒んだ科学者たちもいた。オッペンハイマーも苦悩し続ける。自分が下す決定の一つ一つが未曽有の規模の死と苦しみを生み出し、プロジェクトが成功すれば人間が神の力を手にすることは明らかに思えた。

この聡明な科学者は、自分が原爆の開発に成功すれば、程なく途方もない数の罪なき日本人が一瞬にして命を奪われるとはっきり理解していた。しかし、もし自分がそれに失敗すれば、ほかの国が原爆を手に入れることも分かっていた。そうした国々の中には、既に1つの民族を完全に抹殺しようとしている国もあったのだ。

プロフィール

グレン・カール

GLENN CARLE 元CIA諜報員。約20年間にわたり世界各地での諜報・工作活動に関わり、後に米国家情報会議情報分析次官として米政府のテロ分析責任者を務めた

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

英中銀が金利据え置き、量的引き締めペース縮小 長期

ワールド

台湾中銀、政策金利据え置き 成長予想引き上げも関税

ワールド

UAE、イスラエルがヨルダン川西岸併合なら外交関係

ワールド

シリア担当の米外交官が突然解任、クルド系武装組織巡
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 2
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 3
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 4
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 5
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍…
  • 6
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 7
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 8
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサイルが命中、米政府「機密扱い」の衝撃映像が公開に
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「なんて無駄」「空飛ぶ宮殿...」パリス・ヒルトン、…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story