2021年5月18日、スペインの飛び地セウタに到着した若い移民の男性が、赤十字の女性ボランティアに抱きしめられている写真が撮影されました。海を泳いで上陸した直後で、体力を使い果たした様子の男性は、女性の腕に身を預けていました。この場面をEFE通信のカメラマンが記録し、その写真はスペイン国内外のメディアで「スペインの難民危機のシンボル」として広く取り上げられました。

この男性はセネガル出身のアブドゥ・ングムさん。2021年5月17日から18日にかけて、海を泳いで渡ってセウタに入った1万人以上の中の一人でした。彼はその後、モロッコに送還されましたが、2024年11月、彼は再びスペインへの入国を試み、カナリア諸島のランサローテ島に無事到着することができました。彼はその後はバルセロナを経てマラガへ移動し、建設関係の日雇いの仕事をしながら生活していたと報じられています。

そんなまだ若いアブドゥさんの訃報が報じられたのは6月7日のこと。死因は明かされていませんが、これをきっかけに再びこの写真が話題となり、尊厳ある生活を求めてスペインにたどり着いた難民たちの厳しい生活状況について焦点があたりました。

増え続ける移民

スペインは移民社会です。2025年現在、約700万人以上の外国籍住民がおり、人口の約14％を占めています。加えて、スペイン国籍を取得した移民らを含めるとその数はさらに増えます。しかし、法的には多くの人が「見えない存在」として扱われています。移民のうち約50万人が滞在資格のない「非正規状態」で暮らしており、合法的な労働・居住の権利を持っていなのいのです。スペインには、外国人に対する在留資格や労働許可に関する法律として「外国人法（Ley de Extranjería）」があります。この法律では、合法的な滞在には、労働契約や住居証明、無犯罪歴などが必要とされており、正規のルートでの滞在資格取得は容易ではありません。政府は2022年に一部制度の緩和を実施し、「社会的根拠（arraigo social）」などの制度を利用して滞在資格を得られる道を拡げましたが、手続きは煩雑で、自治体ごとに運用に差があると報告されています。

経済に不可欠でも見えない存在

スペインの農業、建設業、介護、飲食業などは、移民労働者なしでは成り立ちません。2022〜2024年の間、スペインの経済成長の0.4〜0.7ポイントが移民労働によるものとされています。正規滞在資格を持たない彼らは「ネグロ(黒)」と呼ばれる違法な雇用形態で雇われます。ネグロで働くと、労働資格を持っていなくても働くことができる代わりに社会保障などの対象外となり、労働基準法など適用されず労働者の権利が法で守られません。そのためこれらの仕事は過酷な労働条件に置かれ、長時間労働や劣悪な住環境が当たり前。アブドゥさんも、電気も水もないバラックで農作業に従事していた一人でした。

より良い生活を求めて

アブドゥ・ングムさんのように、海を渡ってスペインにたどり着く移民の多くは、自国の貧困や不安定な情勢から逃れ、「人間らしい生活」や「家族の未来」を願ってやってきます。アブドゥさんは、最初に送還されたモロッコにパートナーと娘を残していました。彼がマラガで建設現場の臨時仕事に就いていたのも、幼い娘に「自分と同じ苦労をさせたくない」という強い想いからでした。しかし、そうした背景に理解を示す声がある一方で、スペイン国内では移民に対する不満や反対意見も少なくありません。文化や価値観の違い、一部移民による犯罪事件、また経済的困窮が広がる中で、「自国民の生活が苦しくなっているのに、なぜ移民に税金が使われるのか」といった怒りの声も見られます。スペインの一部世論では、「移民は社会保障を食い潰す存在」「治安を悪化させる」といった主張が政治の場にも持ち込まれており、移民政策が選挙の争点になることも増えてきました。これはスペインに限らず、日本でも同様の構図が見られます。必要とされる労働力でありながら、制度や社会の受け入れ体制が整っていないことで、共生は簡単ではありません。真の意味での「共に生きる社会」を築くためには、感情ではなく、現実に即した冷静な対話と制度設計が不可欠です。