コラム

軍では効かない中東の紛争解決

2015年10月12日(月)09時54分

 あるいはアサド政権こそが自分たちの命を脅かしていると考える人々(実際難民化したシリア人に対して行われたアンケートでは、ISが怖くて逃げたというよりアサド政権の攻撃を逃れて、という回答のほうが多かった)のなかには、援助を得るにはサウディなどの湾岸諸国に依存するしかないので彼らが支援する反政府側に身を投じるしかない、と考える。アサド支援側にはロシアによる空爆まで加わったが、これは誰でもいい、決着をつけてくれる軍ならだれでも歓迎する、というムードが呼び寄せたものだ。シリアだけではない、イラクやエジプトもまた、ロシアの登場を歓迎している。

 だが、次々に軍事力を投入して、事態はマシになったのか。ロシアの空爆開始から一週間強経って、ISはシリア第二の都市、アレッポに迫る勢いを見せた。同じころ、イランから派遣されていた革命防衛隊のトップクラスの司令官がシリア国内で死亡して、イランに衝撃が走った。11日にはヒズブッラーの幹部クラス司令官もまた、シリア国内で死んでいる。ロシアの参戦で雌雄に決着がつくどころか、関係国の被害はエスカレートするばかりだ。

 つまり、百戦錬磨の軍事組織が総出で介入してもなお、むしろ事態は悪化している。軍が出ていけばどうにかなる、という状況ではないのだ。

 もうひとつの側面は、このむき出しの暴力の衝突をエスカレートさせている原因に、中東地域の二極化、「新しい冷戦」状態がある、ということである。サウディアラビアやトルコといった反アサド派と、イラン、イラクのアサド支持派だ。この対立に宗派の違いが重なって、中東ではいま両者間の代理戦争が各地で勃発していることになる。シリアでの戦いの現状に決着がついたとしても、その背景にある「新しい冷戦」を処理しないことには、いつでも「冷戦」が「熱戦」になる。となると、こちらは軍の出番ではなく、域内関係をどう安定させるかという、外交の出番なのだ。

 軍をいくらつぎ込んでも埒が明かない状況と、外交が不在で根本的解決ができない状況が併存している。今の中東の危機は、軍をつぎ込みやすくすればなんとかなる、ということでは決してない。

 だが、「じゃあ何もできないままでいいのか」という反論が当然ある。無論、何かしなければならない。だが、「何かやったふり」のアリバイ作りのためだけに既存の方策にしがみつく(とりあえず空爆してみるとか、とりあえず軍を派兵してみるとか)ことは、事態をますます複雑にするばかりだ。ではどういう解決方法を国際社会はとれるのか。

 ISにせよシリア難民の問題にせよ、いまの事態は過去の例のない、未曾有の「新しい危機」である。だったら解決策も、まったく新しく考えていく必要があるのではないか。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

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